特に、この「時計」は第3楽章に堂々たるメヌエットを配していて、さらに最終楽章はハイドンが書いた最も優れたフィナーレの一つだといえます。
限られた人々を対象に作品を書き続けていたハイドンにとって、かの地のオーケストラを前提に、不特定多数の聴衆の為に意識して作品を発表する「興行」は、自由人としての恩恵を物心両面で充分にもたらした。つまり、ハイドンは市民社会での作曲家への転身に、この時成功したのである。その失敗によって、貧困の中で死んだモーツァルトの轍を踏まない幸運を彼は得たという事だ。
この充実の中で、合計12曲の交響曲が新作された。現在、交響曲第93番から第104番に数えられる、通称「ザロモンセット」と呼ばれる作品群である。『時計』はその2度目の渡英の折に作曲されているが、12曲中でも最も充実した内容を誇る。齢60歳を過ぎていたハイドンだが、その闊達な表現と構成の緻密さに彼の得意をみる思いがする。
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