この曲は上流から下流に向って、段々と大河になっていく様子を絵画的に描写している。
モルダウには2つの水源があるというのを表すような、フルートとクラリネットが掛け合いから曲が始まり、2管編成のフルートが交互に出現してモルダウの水源を表現する。16音符の早いパッセージは、水源の早い水の流れを彷彿とさせ、ハープとヴァイオリンのピチカートが、あたかも水源の水の雫を思わせる。川幅が広くなるにつれて編成の方も厚くなってきて、2管のクラリネットによるもう一筋の流れがモルダウ水源に合流する。フルートとクラリネットの音色のコントラストが絶妙で、あたかも二筋の別の水源が同居して流れている感じを与えている。
この部分の入りの和音は、H音上の七の和音→Cdurという偽終止を使っており、明確な和声上の区別がつけられている。これにより、スメタナは「ここからクラリネットが入ってきますよ」と、さりげなく聴き手に強調しているのである。ここよりヴィオラが入ってきて、さらに水源の水量が増す感じを表す。ヴィオラは最初はオルゲルプンクト(最低声部が同音を長く持続すること。その上部に旋律・和声が変化、展開させられる非和声)で入るが、途中でシドシドシドという音型となり、フルートやクラリネットとは一時的にかなりの不協和音を形成するが、これは実質的にシ音のオルゲルプンクトと一緒なので、ほどんど耳につくことはない。水滴を表現しているピチカート(+ハープ)は次第に数が増えていき、水源がだんだんと大きくなっていく様子を巧く表現している。
そして、ヴィオラが本格的に水源に参入する頃にまた数が減っているのは、水流が大きくなって最早ポタポタといったレベルの流れではなくなってきたことを示しているのだろう。モルダウの源は、この先よりかの有名な旋律が出され、その流れが本格的になっていく。続いて、ヴァイオリンとオーボエに滑らかなメロディが登場するが、このメロディは合唱曲になったりして非常に有名だ。この曲が人気があるのは、何といってもこのメロディの美しさと親しみやすさにある。憂いを湛えた流麗なメロディはClassic音楽の中でも屈指の名旋律と言える。この旋律はイスラエル国歌とそっくりだが、スウェーデン民謡がオリジナルと言われている。
この旋律はpからfへと向かい、頂点に達してから、またpへ戻るようにできており、これは川の流れのゆるやかなうねりを表現していると考えられる。このメロディが展開された後、森の狩猟の部分へと移りホルンが大活躍し、その後はスラヴ舞曲の思わせる楽しげな農民の踊りが続いていく。
続いて、月の光と妖精の踊りの部分へと移っていく。川の流れを表す木管の演奏の上に、月の光を表すヴァイオリンのメロディが出てくるところなどは、見事な描写力である。その後、主題が再現する。夜が明けても、川は流れているということか。急流に差しかかった場では、各楽器が大活躍し激しい雰囲気となり、さらに壮大な雰囲気に包まれてプラハ市に入って行く。古城ヴィシェフラドが見えてくると、第1曲の最初のテーマが出てくる・・・という具合に、非常に律義に川沿いの情景を音楽で描写しているのである。
『モルダウ』は全6曲中最も有名で、飛びぬけて人気のある曲である。単独で演奏される機会もCDの録音数も、他の5曲に比べ桁違いに多い。『モルダウ』というのは川の名前だが、これはドイツ語読みでチェコでは「ヴルタヴァ(Vltava)」と呼ばれている。本来なら、この名前で呼ばれるべきだろうが、日本ではすっかり「モルダウ」という名称が定着してしまった。
スメタナがこの曲を書いた頃、すでに彼の耳は殆ど聞こえていなかった。ベートーヴェンが「第九」を書いた頃の状況と同じなわけであるが、スメタナの場合さらに悪いことには、常に耳鳴りにも悩まされていた。彼は日記に「せめて耳鳴りがやんでくれたら」と書いているが、それにしてもそのような悪条件の中で、よくぞこれほどの名曲が書けたものだ。
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