抽象概念の明確化
プラトンが描くソクラテス像に則るならば、ソクラテスの業績・営みの特徴は、人生や社会に関わる抽象概念や曖昧な事柄を明確化しようとしたことにあると言える。ポリスの自由市民達が尊ぶ徳・正義・善・敬虔・節制(分別)・勇気とは一体何なのか、あるいは、それを教えると称するソフィスト達、彼らが駆使する社会操縦術(説得術)である弁論術(レトリケー)等は、一体何であるのか、そういった曖昧なまま放置されている物事を、再度入念に吟味・検証することを彼は要求する。そのためには、一方通行のまま疑問に答えてくれない弁論や書物では役に立たず、しっかりと質疑応答を経て合意を重ねながら対象を深く探求していける問答が必要になる。
話をわかりやすくするために、そういった抽象概念や曖昧な事柄を、具体的・実用的な事柄に置き換えつつ問うのも、彼の特徴の一つだと言える。例えば
「医者は医術を教え、彫刻家は〜、建築家は〜、大工は〜、鍛冶屋は〜、靴屋は〜、ではソフィストは何を教えるのか?」
などが典型である。
また、抽象概念同士の関係性や数、一致性・不一致性、範疇・所属なども執拗に問うていく。こういった飽くなき概念の明晰化の追求、知識・人間の吟味と向上、これが彼の考えた愛知(哲学)の営みだと推察できる。
こういった一見、現実社会に直接役立ちそうもない重箱の隅をつつくような思索[要出典]を、青年期を過ぎてなお延々と続ける「子供じみた」[要出典]営みと断定する人々、特に目の前の社会運営を優先する穏健で「大人な」人々や、弱肉強食な自然観・社会観を持っている「諦念的な」人々を苛立たせる。そして、『ゴルギアス』に登場するカルリクレスや、『国家』に登場するトラシュマコスなどのように、公然とソクラテスを非難する人々も出てくることになる。しかしながら、そうしてソクラテスを非難する人々が拠って立っている考えの曖昧さですら、ソクラテスにとっては明確化の対象であり、そういった人々もまた、格好のカモ[要出典]として、ソクラテスの明確化の渦の中に巻き込まれていくことになる。
こうして、タレースなどミレトス学派(イオニア学派)に始まる自然哲学とは対照的な、人間・社会にまつわる概念を執拗に吟味・探求する哲学がソクラテスによって開始され、後にその弟子であるプラトン、更にその弟子であるアリストテレスが、(ピタゴラス教団やエレア派の影響を受けつつ)形而上学をそこに持ち込むことによって、その両者(「自然」と「人間・社会」)のあり方の説明を、包括的に一つの枠組みに統合・合理化したという見解が、一般的に広く受け入れられている。
アレテー(徳/卓越性/有能性/優秀性)
彼の最も重視した概念は、よい生き方としてのアレテー(αρετη、arete徳)である。「人間としての善=徳」という意味で、人間のアレテ-は魂をより良くすることであり、刑罰もそのために有効だとする[要出典]。また、アレテーを実践する者の人生は幸福であるとも主張した。しかし、これはプラトンの考えという説もある。なぜなら、ソクラテスは著書を残していないからである。
社会契約論
『ソクラテスの弁明』の続編である『クリトン』において、死刑を待ち、拘留されているソクラテスに逃亡を促しに来た弟子のクリトンに対して、彼は「国家」「国法」という架空の対話者を持ち出し
「我々の庇護の下でおまえの父母が結婚し、おまえが生まれ、扶養され、教育された。祖国とは、父母や祖先よりも貴く、畏怖され、神聖なものである。また、この国家(アテナイ) が気に入らなければ、いつでも財産を持って外国や植民地に移住することが認められているのにもかかわらず、おまえは70歳の老人になるまで、ここに留まり、家庭をもうけ、ほとんど外国に行くことすらなかった。したがって、我々とおまえの間には合意と契約が成立しているのにもかかわらず、今さらそれを一方的に破棄して、逃亡を企てようというのか?
そのような不正が許されるのか?」
と彼自身を非難させ、クリトンに逃亡の説得を諦めさせた。
これは、中世・近代に様々に展開していくことになる社会契約論の原型とも言える。彼の弟子であるプラトンや、その弟子であるアリストテレスも、徳の概念と関連させつつ、様々な国家論を論じていくことになる。
自立(自律)
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ソクラテスは、徳(善き生)などについての考えの形成(魂の世話)を、ソフィストのような他者の手に納得しないまま安易に委ねることを嫌った。そして、自身の考え(あるいは、「ダイモニオン」)に従い、おかしいと思うことは相手が誰であろうと忌憚無く問い、正しいと思うことは誰に反対されようとも実践すべきであることを身を以て示した。その結果、彼は自ら死刑を受け入れることになる。
ダイモニオン
ソクラテスは、時折「ダイモニオン」(超自然的・神的な合図・徴(しるし))を受け取ることがあったという。そして、それが彼の考えや行動の重要な指針にもなっている。彼によると、それは幼年時代からあらわれるようになった一種の声(幻聴)であり、常に何事かを諫止・禁止する形であらわれ、何かを薦める形ではあらわれない。なお、こういったことを放言していたことが「国家の信ずる神々を信ぜずして、他の新しき神霊(ダイモニア)を信ずる」といった訴状の内容にも影響を与えたと考えられる。
出典 Wikipedia
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