2018/04/23

京料理の発展に影響を与えたもの/農林水産庁Web

2 京料理の発展に影響を与えたもの

京料理の歴史に大きく影響を与えたものに、北海道や東北からくる松前船、北前船などの船の交易がある。北海の塩干物や棒鱈、鰊、数の子、するめ、貝柱などはカチカチに干されて京の町に入ってくるのである。それらは若狭の方から鯖街道を通って京の町へ入ってきたり、大阪の港について淀川から高瀬川を上って入ってきたりする。日本海を通って若狭の浜についた船からは、紅花なんかと一緒に若狭の一汐物が入ってくるので非常に重宝されたのである。

 

ぐじや鯖、鰈など一汐物、これが若狭の浜から山を越えて今津の方へ来て、熊川から朽木の街道を通って八瀬大原から京の入口のひとつ山端へと入ってくる、または周山、花背の方からも入ってくる、こういったところから入ってくる一汐物の塩干物が、京料理に大きく影響を与えてきたのである。

 

特に昔は、ぐじがものすごくごちそうで、ぐじの一汐物なんていったら本当に重宝がられていた。そういうとこから持ってこられる鯖が、京の町に入って鯖寿司になってハレのごちそうになる、山を越えて入ってきたものが入口の今の山端の平八茶屋でまず荷物をおろして、そして町中をずっときて最後に祇園町のいづうで荷物を下ろす、そのいづうで鯖をおろして鯖寿司となる、ですからいづうの鯖寿司というのは昔から非常に高価だったけれども、京都人のすばらしい好みでありハレのときにはごちそうとなるのである。そして子供のころ入ってきたのは笹鰈という身が薄くて細長い鰈で、ずいぶん高価なものであった。ほかのかれいは身が分厚いのに安くて身の薄い笹鰈がなぜこんなに高いのかと思っていたけれども、そういう上品なものが貴重品だったのである。

 

そのほか北海道から来た昆布などもおろしていく、敦賀には大きい昆布問屋があってそこの町で昆布をおろす、また大阪の方を回って大阪でも昆布をおろす、というので大阪も昆布で非常に有名な町になったのである。北海道産の昆布というのはいろんな種類があり、浜によって随分違いがあり使い道も様々である。このように他府県から持ち込まれて、京都の町に適して京都の名物になったものに京都の伝統野菜がある。昭和62年に京都府が17品目34種ということで伝統野菜を指定したが、今はもう少しふえている。

 

子供のころにおいしい野菜を食べたという思いがあり、山科あたりから大八車でこえたんごの空桶をいっぱい積んで農家の人がやって来る、店は営業しているからたくさんこえがたまる、それでくましてくれということで庭先を通り、天秤棒でかついでこえをくみ取り、また大八車に乗せてまた空おけを持って中へ入ってまた天秤棒でということが昔からあって、お客さんが食事をされている昼間の営業時間帯に部屋の外をそれが行き来するということをやっていたからすごいもので、今では考えられないことである。そういう人が野菜をたくさん積んで持ってきては、くませてもらったお礼に野菜を置いていってくれた。その野菜が、子供のころすごくおいしかったという思いが今でも残っている。

 

私が昭和60年に芽生会の会長になったとき、何か事業をするということで皆で相談してやり始めたのが京都の伝統野菜の復活事業であった。当時の野菜は本当に形も色もきれいで、大きさがそろったキズひとつない素晴らしい野菜が多かったけれども、食べると全く美味しくない。料理屋がこんなまずい野菜を使っていていいのか、という思いがあった。はじめはなかなか協力してもらえずそっぽを向かれていたけれども、いろいろマスコミを利用して2年目にちょっとブームになり、3年目には京野菜は完全にブームになって向こうを向いていた人が皆、こちらを向くようになっていた。

 

京都料理というのは、京の伝統野菜によって非常に大きく発展してきたものである。京野菜は大きくわけて夏野菜、冬野菜にわけられる。京の野菜というのは春と秋が端境期で、夏野菜と冬野菜が主になる。その京野菜も、京都で生まれたという野菜はひとつもなくて、すべて他府県から持ち込まれたものが名物になったというもの。京都の気候風土が適していたため、産地の県よりもおいしいものができるようになったというのが京野菜なのである。

 

そのほか京都には宇治川、淀川、保津川、鴨川、桂川などいろんな川があり、そこでとれる川魚があげられる。隣の日本一の琵琶湖でとれる川魚が非常に豊富で、海のものはなかなか手に入らないけれども、このような川魚が豊富であった。私らの若いころは「川魚専門店」、「川魚料理」という看板をあげる店がずいぶん多かったが、今では一軒もない。珍しいところでは鯰料理があったが、それももうなくなってしまった。今珍しいところであるのはすっぽん料理、すっぽんの専門店「大市」が古くからある。

 

今の若い人の食生活というのは、ずいぶん嗜好が変わって川魚で喜ばれるのは鮎と鰻ぐらいになってしまっている。あとは鯉とか鮒とかモロコとか、ある種好きな人は多いけれども若い人には適してない、ということでだんだん川魚を使うところがへってきた。私ら川魚が好きで裏の川でとってきては天ぷらにしたり、母も非常に好きで池に鮒がたくさんいたので、冬になるとそういう鮒をつかまえては子まぶしのお造りをつくって酢みそで食べていた。今は鷺にやられて全滅して鯉だけになってしまったけれども、寒鮒をこまぶしにすると本当に美味しいものである。今でも鰻もたくさんいて、この前池をせき止めたら田鰻も20匹ぐらい獲れたのである。


母がおりましたときは、夜中に懐中電灯をもってヤスで鰻をとって食べていた。すっぽんも亀も卵を生んで、うちでは大体3年たつとすっぽんをつかまえて食べるている。いけすの中のかごに3日間入れて、どろをはかして食べる。鯉も子持ちで、鯰も蒲焼きにする。ギギとか鯰は穴ほって害があるので、鯉にえさをやっているときにヤスでとる、ギギは捕まえたらギイギイなくもので今は全部捨てている。そういった嗜好品が、今は変わってしまった。ゴリ(石伏魚)は今でも使っている。それと今は鮒が琵琶湖でもとれなくなって、鮒寿司が少なくなって高価になった。卵をいっぱい持ったニコロブナが少なくなって、みんな外来魚にやられているということである。

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