2018/04/03

ヒッポクラテスの医学思想(5)



 
古代ギリシャにおける医療施設
 古代ギリシャの特殊性は、以上のようなものを集大成して「病院」というものを組織だって形成したことにあります。医療組織として「医術の神アスクレピオス」を祭った神殿があり、そこがそのまま医療機関となっていました。そうした医療所の古いものとしては『イリアス』の登場人物マカオン(アスクレピオスの息子とされる)の土地トリッカーが知られますが、有名なのはペロポネス半島の「エピダウロス」です。そして、後にさまざまな地に「アスクレピオス神域」が作られていきます。(医療の神域としては、他にも「アンフィアレイオン」など別種のものもありました)。

これらは後代になると神殿の他に広大な聖域をもち、そこに様々の建物が付設されて入院施設もありました。そして、治療法としては先の薬草の開発ばかりではなく、手術道具なども発掘されています。さらに精神療法に含められるでしょうか、「」で治療法を教わったなどという記述などもあるので「夢判断」なども行われたのでしょう。温浴の設備やリラックスのための設備など、現代的な様々な設備が開発されていました。

 アスクレピオスの神域の代表的なところであるコス島(ヒッポクラテスの故郷)やその対岸の小アジアのクニドス、またエピダウロスなどでも、「環境などへの配慮、病状の観察記録、実際的施療における合理性」などが追及されて行ったようです。こうした背景にヒッポクラテスが出現するわけですが、そのヒッポクラテスの医学思想を簡単に箇条書きのようにして紹介しておきたいと思います。

1.哲学的仮説や臆断からの思弁的な考えの排除
 哲学は人間の本性や自然の原理について考えるものではありますが、「具体的人間の健康」について語るものではありません。それにもかかわらず、そうした議論を好む者が医者の中にも多くいたようで、ヒッポクラテスはこれに非常な危惧を感じ、こうした傾向を激しく攻撃しました。それがエンペドクレスに対する批判などに表れているわけですが、もちろんそれは自然学者に対する反論というより、そういう自然学的理論をそのまま「具体的医療」に適応してしまおうとする傾向一般に対する批判と言えます。ただし、このことは「医学理論」の軽視を意味するのではなく、むろん「人体生理」に関する論は熱心に追及しておりました。それが自然全体との関わりで行われても一向に差し支えはないのだけれど、それは哲学的理論としてではなく、むしろ「人体の観察」から行われていくのでなければならない、と考えられていたようです。

.自然の教える経験的知恵の重視
 要するに、今みた「哲学的理論」をもとに医学を考えるのではなく、医学というのは「具体的」なものなのだから、具体的事実が示してくるものを基本にしなければならない、という「経験科学」の立場を言っていると理解しておけばいいです。今日の眼からすれば、一見当たり前のことを言っているようですが、今日でも結構忘れられて「理論」ばかりが先行してしまうことが多いものなのです。なぜなら経験というのは個人的なもので、しかも一時的であり普遍性を持たないからです。ですから、この立場は「綿密な観察」と、それを「数多くデータとして記録し普遍化する」ということが要求されてきます。ヒポクラテスは、それをなしていった科学者でした。

.事実の観察の重視
 したがって「観察の重視」ということに繋がるわけですが、ここで自分の個人的立場とか主観性とかを捨てなければならない、という難しいことが要求されてきます。例えば、これこれの治療をしたけれど効果がなく死んでしまったとか、悪化させてしまったとかの失敗まで記録することが要求され、隠しておきたいことまで記録しなければなりません。ひょっとしたら患者個人のプライバシーの問題もあり「医の倫理」まで考えなければならないのです。

ヒッポクラテスは、淡々と「患者の死」をたくさん記録していますが、これはライバルたちの格好の攻撃の的にされかねないところで勇気が必要でした。しかも、この臨床記録には緻密さと客観性と事例の多さが要求されるわけ、大変な作業であったわけです。こういうことが実際に記録され、今日まで残されたということに驚嘆せずにはいられません。

.医学の限界の認識とそれに基づく技術の発展
 医学は全ての病人を癒したり、人間を不死にするものではありません。この限界を知っていることで逆に医療技術の進歩が計れることになるわけで、こういった認識を持っていないと、結局「神懸かり」的なもの、宗教に頼ることになってしまうことになります。宗教に嵌まり込んだ困った医者というのも実在するようですが、ヒッポクラテスは「アスクレピオス神殿の医師」であったくせに、いやむしろそうであったからなのでしょうか、それを警戒したようでした。

 アスクレピオスという神様は、元々は神アポロンと人間の娘との間の半神で、父親と同様医術を得意としたのですが、ついには死者まで生き返らせるほどにまでなってしまい、これを見たゼウスが「摂理に反する」として、彼を雷で打ち殺したと言われます。そして彼は天上にのぼり神になったといわれますが、この彼が医療神として祭られるようになったわけで、エピダウロスやコスの神域がその代表というわけです。ともかく、アスクレピオス自身「医療と死」という課題を抱えた神様だったのです。

.迷信との戦い
 病気における迷信は、いつの時代、どこの場所にもあったし、現在も根強くあるもので「医療」とは切っても切れません。これは、人間の精神的な要素が病気に多いに関わっているためで、古代とか現代とかの時代の問題ではなく、また先進国とか後進国とかの問題でもなく、文明国とか野蛮人とかの問題ですらなく、「人類そのものに関わった問題」と言えます。

 しかし、これは当然「科学的医療」の敵になるのは間違いがなく、したがって科学的な医者であろうとする限り、迷信との戦いはどこでもいつでもなされねばならないことで、こうしたことが意識されるのは大変なことであったのです。意識したって世間からはなくならないのですから、この戦いは大変なものがあるわけで、当然ヒッポクラテスも(現代の医師達も)完全には成功していません。

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