6.環境への配慮
人間の社会生活そのものが健康や病気の流行と相関している、大気の在り方、水、住む場所などへの配慮が大切である、ということを強調しているのですが、これは最もヒッポクラテスの面目躍如としている主張とされます。つまり、いってみれば「環境医学」の提唱のようなものですが、ヒッポクラテスは「病気は治すより、かからないようにすることが大事」だと強く主張しているのです。そのために、自分の生活環境、特に「空気のきれいなこと」、「水が豊富できれいなこと」「住む場所、つまり暑過ぎたり寒過ぎたりしないところ」への配慮が何より優先されなければならない、と言うのです。
これも当たり前のようでありながら、現代の人間はちっとも配慮していません。口先だけです。経済優先で環境破壊は無残なものです。現代人が本当には分かっていないことを、こんな時代に提唱しているのも驚くべきことです。
7.食餌法の重視
これも「環境への配慮」と並ぶ、ヒッポクラテスの中心的思想となります。二つとも「生活の在り方」そのものが病気を引き起こし、あるいは健康を維持させているということであって、繰り返しますが、医学の本質は病気を直すことにあるのではなく、病気にかからないようにすることにある、というヒッポクラテスの主張をよく表しています。食餌法、つまりダイエットの内容についてはすでに説明しておいた通りです。
ヒポクラテスの「生理学」
一方、ヒッポクラテスは哲学的・自然学的医学は廃し、むしろ「生理学」を考究しておりました。その彼の学説は「四体液説」という形で知られています。現代医学からみれば、まるでバカバカしいと見えるでしょうが、科学的医学の一番始めの場面なのです。顕微鏡はじめ器具など、何にもない時代の話です。私たちとしては、そうした何にもないところに先鞭をつけていった、その意義を認めなくてはならないでしょう。その一部を簡単に紹介しておきます。
ヒッポクラテスの四体液説人体における、健康・病気の兆候を示す四つの体液。
1.血液
1.血液
2.粘液
3.黄色の胆汁状液
4.黒い胆汁状液
体内を流れるこれらの体液の調子、調和が身体の自然を調整し、健康・病気を引き起こす(体液病理説)。これらの体液の性質を次のように設定し、その体内での座を定めました。
「血液」は「熱・湿」で気候的性質は「春」。体内における座は「心臓」。
「黄胆汁」は「熱・乾」で気候的性質は「夏」。座は「肝臓」。
「黒胆汁」は「冷・乾」で気候的性質は「秋」。座は「脾臓」。
「粘液」は「冷・湿」で気候的性質は「冬」。座は「頭」。
こうした設定において、例えばひどく単純に説明してみると、健康に関して次のような見解が示されます。例えば冬は食事量は多めにし、飲料は少なめにする。その理由は、冬は多くのエネルギーを取り入れ、体を暖める必要がある一方、冷たく湿った粘液は多いので、それを過剰にしてはならない。要するに言いたいことは「体内の諸要素のバランスを重視」せよということであり、何事によらず、過剰と不足を避け、節度と調和こそが健康を保ち、病気を直すということです。そのバランスに関して、気候・風土を重視し環境との和合を計る、ということを言い、これを踏まえて反対のものは反対のものによってバランスをとらせる、といった思想であると考えておいてよいでしょう。
こういった思想は、すでにピュタゴラスのところでも見ていましたが、ヒッポクラテスがピュタゴラスとどういう関係にあったかは、よく分かっていません。ただ医学思想として、当時知られていたのはピュタゴラスのものだけだったでしょうから、何らかの形でヒッポクラテスがこの思想にふれていたと言う可能性はあるかもしれませんが、しかしこの問題はいずれにせよ推量の域を脱しません。
ヒッポクラテスの誓い
現在、ヒッポクラテスの名で一番よく知られているのがこの「誓い(ホルコス)」でしょう。これは医師の倫理をかたるものとして、欧米の医学校でよく講義されていたようです(今でも、されているかどうかは知りませんが、欧米ではヒッポクラテスの名は、しばしば言及されるという話は聞いたことがあります。残念ながら日本では、殆ど一般に知られていないでしょう)。
ただし、これはかなり後代になって作られたものが、ヒッポクラテスの名のもとに「全集」に入れられたものと考えられています。おそらく「学派の倫理」として始祖に遡るとされていたのでしょう。その内容は、以下のようです。
1.師弟間での倫理
師は親と同様、その子息は兄弟同様、医学の伝授は師と自分の子、及び誓約を交わした弟子との間でのみ行われ、みだりに他人に教えないとあります。一見閉鎖的とも見えますが、そうではなく医療は生死に関わることですから、その任にたえ得る基盤を持ち、基本的知識と識見を持っていることが要求されるということです。誰もが生半可な知識で勝手に医療行為ができる状態は危険であるからです。近代以降「医師免許」、「看護士免許」という形で医療行為者を限定しているのも、この思想から来ています。
2、患者の利益のための医学
これには「致死薬の不投与」、「堕胎薬の不投与」、「結石患者への手術は専門家に任せる」といったことがあげられています。前の二つはいいとして、最後の項目ですが、ある種の手術はその道のプロがいたらしく、医師は万能のごとく振る舞ってはならず、己の分を守るべきと言ったものと解されます。さらに「どんな家にいくにせよ、不正・害悪を意図してはならず、特に情欲をもってはならない」、とされます。また、「患者ばかりでなく、全ての人々の秘密の厳守」は当然でしょうが卓見です。ただし「堕胎薬の不投与」ですが、ここには母体保護の問題もあるわけで、事実、全集中に堕胎や避妊の処置に関する論稿も含まれていますので、場合によっては許されていたのは当然です。
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