2018/04/09

京の食文化/農林水産庁Web

京の食文化

はじめに

京都の文化は、宮中中心の公家文化で他府県とはずいぶん異なった発展の仕方をしてきたのである。食文化といっても、食文化ひとつで語るわけにはいかない、呉服とか京焼、京漆、京菓子など様々な文化があわさって京料理も一緒に大きく発展してきたのである。京呉服なども、本当に染めとか縫いなど素晴らしい技術があって、デザインもすぐれている。私も花街の舞というのは商売とは切り離せないもので、毎年見にいく。着物には大変魅力的なところがあって、デザインや色の使い方は特にすばらしく、その着物を見るために行くようなものである。

 

京焼に関しては、「花洛名所図会」に東海道の本街道の絵があって、瓢亭の通りから一つ南側の通りが三条通でのきなみ粟田焼が並んでいる。それぐらいすばらしい土が出たところで、瓢亭の庭も掘り返すとブルーの粘土がたくさん出てくる。それは水の吸水性は悪いけれども粘りけがあって、焼物には適しているということらしい。細かい細工をしても焼物が曲がらないという昔の粟田焼は、古いものでも見ていると薄い八寸でもすかっとあがって、細かい透かしのあるものでもゆがまずにあがっている。そして仁清、乾山という人たちの釉薬のきれいな焼物ができるようになり、すばらしい色絵の世界ができてくる。漆においては、丹後の方で復活して漆かきもふえてきた。中国に一時おされていた漆も徐徐に回復し、京漆というものがずいぶんいわれるようになった。

 

それらのすばらしいところは、木地師の木地で椀や皿を削ったりするロクロの技術がよかったので薄い木地がうまくでき、それに布をはって漆をかけるから薄くて軽いけれども落としてもわれない丈夫なものができたのである。そして蒔絵の技術については、すばらしく様々なものができあがっている。

 

京菓子においては、彩りは美しく甘味もしっかりしているが嫌味がない、というのは餡の砂糖蜜のあく抜きというのがうまくできているので、非常に甘味が濃いけれど嫌味がないのである。そして彩りが美しいというのは、形で表現するのではなく彩りとちょっとした何か抽象的な形で表現をすることが京菓子のいいところで、色彩豊かで表現力がすばらしいというのが京のお菓子だと思っている。私はいま、京菓子組合の審査員をしていて年に何回か発表会があり審査をしているけれども、だんだん変わってきている。それは、お菓子の表現が抽象的から現実的な形になってきているのが最近の傾向といえる。

 

I 京の食文化

 

1 京料理の歴史

京料理に関しては、それは一つの京都の郷土料理ということがいえるだろう。その発展の中には4つの歴史があり、まず一つは宮中の有職料理である。今の万亀楼とか魚新に残っている料理であるが、嶋台に飾る蓬莱盛りというおめでたい盛り方で、嶋台に木を飾ったり花を飾ったり、きれいな色彩のリボンを飾ったりと優雅でめでたいような料理が有職料理である。

 

次に精進料理がある。これはお寺から出た料理で、いかにその季節のものを長期間保存して、それをナマよりもよりおいしく食べることができるかという方法を考え出したのである。ナマのものを干したり塩漬けにしたり、灰をまぶして干したりといろんなことをして保存食をつくる。そして戻したときに天日干しのおいしさがはっきりと出て、季節外れにいつでも美味しく食べられるという、そういう工夫がなされている料理なのである。

 

そして茶道からは懐石料理がある。これは千利休のころからあるけれども、あの昔にあってあついものをあついうちに一品ずつ運んで食べるという食べ方と、それに付随して器の鑑賞と箸使いがある。いろんな種類の箸を使っておいしく食べるというもので、今でもその使い方は各家元で違ってはいるが、実に合理的においしいものはおいしいうちにと考えられている。これを400年の昔からやってこられたというのは、すばらしい食生活である。

 

その次にお番菜がある。これは京都の町衆が代々いろんな工夫をした料理で、中でも代表的ないもぼうというのは、カチカチに干した棒鱈を海老芋と一緒に炊くことで、棒鱈のアクによって芋が型崩れせずにやわらかく炊けて、また芋のアクで固い棒鱈がやわらかく炊けるという相乗効果のある料理で、科学のない時代にこれを考え出したというのはすばらしいことである。

 

そのほかにも、様々なお番菜が京都の台所から代々伝わってきている。そして今日の京料理というのは、これらの4つのものがまざりあって発展してきたものだといえよう。

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