2018/04/14

春秋時代(3)


 春秋時代のキーワードが「尊王攘夷」です。尊王は王様を尊ぼうということですね。攘夷のは「うちはらう・おいはらう」という意味。夷は異民族のことで、尊王攘夷というのは

「頼りない王様だけど、王なんだから尊重しましょう。王様に力がないから王の代わりにわれわれ諸侯が異民族を打ち破って中華文明を守りましょ。」

ということです。この言葉は幕末の日本でも使われるから知っていますね。もとはこの春秋時代の言葉です。

 王に代わって天下に号令をするような有力な諸侯が春秋時代を通じて何人か現れるんですが、そういう有力諸侯を「覇者」という。「春秋の五覇」というのがあって、特に有名な覇者五人をこう呼ぶ。どの諸侯を五覇に挙げるかは、人によって違いがあります。資料集にあるのは「斉の桓公、晋の文公、越の句践(こうせん)、呉の夫差(ふさ)、楚の荘王」ですね。斉とか晋とかいうのは諸侯の国の名前です。もともとは大きな邑ですが、この時代にはもう国といった規模になっているわけ。桓公とかは諸侯の名前です。

 覇者というのはどういう言葉かというと、王者よりワンランク下の称号です。この時代の諸侯は、いくら周王より力があっても周王に遠慮して王者とはいわない。だからワンランク下の覇者といいます。まだ、宗法がそれなりに生きている。だから桓公とか文公とか覇者の呼び方は「」。桓王、文王とは言わないのです。楚の荘王だけが「」といっているでしょ。これは楚は南方の国で、中国の文明地帯から見れば、彼らはまだまだ野蛮人です。この国の人々は、まだあまり中国文明化していない。だから、宗法とか周王を尊ぶとか、そういう文化があまり理解できていない、というか影響されない。だから、文明国なら遠慮して王とは言わないのに、全然遠慮しないで王と名乗っているのです。やがて先進地域の国々でも、これに影響されて王と称するようになってきますが。

 春秋時代は、諸侯同士で戦争もたくさんあります。初めの頃は戦争で敵国を破っても、相手の国を滅ぼすことはあまりなかった。これは滅ぼしてしまって、その国の祖先神を祭る者がいなくなることを恐れたためです。この理屈はさっき話したね。

 ところが春秋時代も進んでくると、祟りを恐れる意識も薄れてくるんでしょう。小さな国は滅ぼされるようになってきます。春秋時代の始めには200ほどあった国が、終わり頃には20ほどに減ったようです。

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