おわりに― 食の欧米化
今よく言われている戦後の食の欧米化で、日本人の食生活というのが本当に大きく変わってしまったこと。ごはんを食べなくなったのも大きなところで、ごはんを食べなくなったというのは、テレビでも朝ご飯のことをいわれているが、日本料理アカデミーでも食育部門で小学校年間20数校回ったりして、私も単独でいろいろ回ったりするけれども、子供の朝ご飯は本当に大事なことだと思っている。
小学校の上級生で料理教室をするときに、子供だけでなくお母さん方にも来ていただいて見直していただいている。日本の出汁というのは、かつおと昆布だけでひいた出汁であるけれども、精神的に本当にやすらぎを覚えるそういう味だと思っている。たとえば子供たちに出汁をひかして、味噌汁を仕立てさせる。それが仕上がったら、お母さんと一緒に皆で試食してもらう、そうすると子ども達は一口食べてまず出る言葉が「先生おいしい!」と言ってくる。そのおいしいは、「こんなおいしい味噌汁食べたことない」ということで、お母さんたちは苦笑いされている。日本の味噌汁とういうのは、単価は安いけれども、素晴らしいごちそうであり精神的にやすらぎを与えるものである。
食事をして、そのような心の豊かさを感じさせてくれるものが、出汁を感じる日本料理ではないだろうか。最近の朝ご飯は、スナック菓子や菓子パンでというのが多いそうであるが、朝ご飯を食べて出かけるというのは子供の体にも非常に大事なことなのである。そして、ぬか漬けのお漬け物、最近ぬか床がある家庭がほとんどなくて、ぬか床は手がくさくなるから嫌やとか、毎日かき回さないとすぐわいてしまうとかいうことが面倒で、する家庭が少なくなっている。くさくなるから手袋はめてやるというのはまだましな方で、手袋をはめてでもやってほしいと私は思っているのである。
ぬか漬けというのは、ヨーグルトではとれない植物性のビフィズス菌がとれる。ぬか漬けとは、そのようなよさを持っているもので、すぐきのような発酵食品にもそのよさがある。すぐきも酸っぱい、くさいとかいろいろあるけれども、あれはむろにかけて発酵させてできるすばらしい発酵食品でもある。小泉武夫先生に、いかに発酵食品が大切かというのを聞いて、日本人は農耕民族、西洋人は狩猟民族ということをいわれているけれども、日本人こそ野菜と魚と発酵食品をメインに食べて、それがいちばん体にいいと思われる。肉も体にいいから、適当に食べていただくといいと思う。野菜の中でも根菜類が大切で、その根菜類の中でも牛蒡というのは非常に大切だというのである。
京都の伝統野菜の中で、堀川牛蒡というのがある。堀川牛蒡は、すばらしいビタミンとミネラルのバランスがあり、それは科学的に証明されているのである。堀川牛蒡という種があるわけでもなし、秀吉が滅びた後に聚楽第が取り壊されたその後に、堀に捨ててあった牛蒡が生きのびて大きい物になったという、それでそういう育て方を考えてつくられたのが今の堀川牛蒡ということである。毎食、牛蒡をいろんな形で食卓に出すと、ボラギノールもコーラックも何もいらないというぐらいすばらしく、腸の働きが活発になっていいといわれている。根菜類の中でもすばらしい牛蒡を皆さん方に今おすすめしているわけである。
今、日本の料理が世界でブームになっているけれども、一番の原因がヘルシーということにあるでしょう。ニューヨークでも、日本料理店というものが結構ある。日本料理アカデミーでは最初フランス人、アメリカ人、イギリス人、今年はスペイン人というふうにいろんな国の方をよんで、本当の日本料理を我々の厨房で研修していただいて、その結果を料理学校で発表会をしているけれども、その方々は本当に日本料理の食材を楽しんで、我々の考える概念でない自由な発想で様々な使い方をしている。かえって我々が、そんな使い方するのか感心したりして、自由な発想がおもしろいなと思って毎回感心することしきりである。そういう発表をされるときに、いろんなお料理ができあがってきて、日本料理ではないけれども食べたら日本料理という不思議な感触があったりと、なかなかおもしろいものである。
これからの日本料理、京料理はどんどん変わっていくであろう。今、東京の日本料理などは、本当に崩れてきて日本料理といえないものがかなりふえてきた。若い人たちは、料理人として基礎もできていないうちから、そういうものにチャレンジしていくという、そのようなちょっと危険な状態があるのではないだろうか。基礎がきっちりできてこそ、いろんな応用ができると思うけれども、なかなか今の状態ではそれだけの年月をかけて基礎を築いて、それからやっていくという状態にはないというのが現状としてある。
本当にどれだけ日本料理を守っていけるのか、またもちろん改革する部分は改革しつつ新しい日本料理も考えていくべきであるが、私がいつも考えるのは、私自身も古いものにこだわっていたらあかん、なんか新しいことをせないかん、という思いもあって改革するのである。自分の中では京料理という垣根がある。その中で今までいろいろ新しいことをやってきて、その垣根から片足を出してやる、ところが飛び越えてしまったらだめである。片足出しておもしろい違うこと新しいことをやっても、それは京料理といえるだろうという段階でとどめていく。
私の保守的なとこかもしれないけれども、そういう感覚で、改革はするけれども京料理といえないものにまで入ったらいかんという思いが常にあって、なかなか人様にお話しても、その垣根というものがわからないと思うけれども、常にそういう思いがあって戒めている。これから先どうなるかわからないけれども、自分では守れるところは守って改革していくところは改革してということで、生涯現役で庖丁がもてたらなと思っているのである。
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