2018/06/25

呉越の争いと西施(2)(中国四大美女)


西施とは、中国の四大美人のうちの一人で、春秋時代の人です。世界三大美女の一人と言われる楊貴妃や三国志でも有名な貂蝉、そして日本での知名度はやや下がる漢の時代の王昭君とともに、中国四大美人となっています。

彼女の容貌については具体的には伝わっていませんが、仙女のような女神のような美しさだったと言いますから、気高さや清らかさが感じられる美女だったのかもしれません。彼女が生まれ育った越という国では、あまりの美しさに人はお金を払って見物したという話も残っています。

西施とその生きた時代
西施の本名は施・夷光 (し・いこう)だとされています。なぜ西施と呼ばれるかと言うと、彼女が暮らした村に施という苗字の家が2軒あり、1軒は村の西にあり、もう1軒は村の東にあったので、西の施であった彼女は西施と呼ばれるようになったのだそうです。

ちなみに中国に「東施効顰」(東施ひそみにならう)という故事成語があり、これを日本語では「西施のひそみにならう」と訳し、人まねをして物笑いの種になる・人のやり方を踏襲することをへりくだっていう…などの意味で使います。

この成語の由来は、西施という美女は胸がときどき痛む病気があり、その時顔をしかめる(これが顰…ひそみ)様が非常に美しかったため、村の東に住む東施の娘がこれを真似たのだそうです。この娘は、西施とは真逆の容貌の持ち主。彼女が顔を顰めると顔が一層恐ろしげになり、周りの人はみな逃げ出したという故事から来ています。

本題に戻すと、要するに西施の西は姓ではなく「村の西に住む施」くらいの意味なんですね。名前の方は「夷光」と言われていますが、こちらで西施を表すことはまったくなく、西施以外では西子と書かれていることもあります。

西施は生没年不詳ですが、紀元前5世紀ごろ、春秋時代に生きた人だと言われます。浙江省紹興市の諸曁の苧蘿村に生まれました。彼女は、ここで薪を売っていたとか「浣紗」をしていたとか言われます。「浣紗」というのは「川で洗濯をする」と訳されますが、ほかに「カラムシ」という麻の一種の植物から繊維を取り、それを布にしていくための工程の一つを指す場合もあるそうです。

日本でも古代から盛んに行われていた「カラムシ織」の工程に、この植物を一晩水に漬ける作業があり、これが「浣紗」だったかもしれません。

西施の物語は、後に昆劇の代表作「浣紗記」でもよく知られていますから、「浣紗」と言えば西施の物語を意味するくらい西施と結びついています。

さて西施が生まれた頃の浙江省紹興といえば、春秋時代は越の国でした。紹興酒で有名な紹興は、当時は「会稽」(かいけい)という名前で越の首都です。そして春秋時代の越といえば呉、この呉と越はたいそう仲が悪く、「呉越同舟」という故事成語でも「呉越」は天敵同士という意味で使われています。

この呉越の戦いがなければ西施は歴史に埋もれ、平凡で幸せな人生を送っていたかもしれません。また、この時代に巡り合っても、もし彼女が大変な美貌の持ち主でなければ、やはり普通の人生を全うしたことでしょう。

彼女の悲劇の人生は、この時代と美貌が結びついてしまったことに始まります。

西施が生きた時代
西施が生きた時代は、中国の春秋時代です。西施は越の国で生まれました。

呉越の争いと西施
中国大陸の南方に隣り合わせた国、呉と越は度々戦いを繰り返しています。近隣国家というのは、例外なく仲が悪いものなのかもしれません。

この時代、越王の勾践(こうせん)が呉の先手を打って攻撃しますが逆に敗北し、勾践が呉王・夫差(ふさ)の奴隷となることで和睦します。一国の王が奴隷の身分に落とされるのですから、その屈辱たるや大変なものでしょう。勾践は国に戻ると苦い肝を舐めて、かつての苦しみを思い出し復讐を誓います。

勾践の部下に、范蠡(はんれい)という優秀な武将がいます。

越は呉を打ち破るために、呉王・夫差に美女を献上して戦意を失わせようとする策を立て、范蠡は美女を探して国中を歩きます。

そこで西施の暮らしていた村にやってきて「浣紗」をしていた西施に出会うのです。当時、西施は13、4歳くらい、彼女はこの「選美」(美人コンテスト)に選ばれて宮中に送られ、三年間、越王からの贈り物として恥ずかしくないように歌舞や礼儀、立ち振る舞いなど、当時美女に必須とされた教養を学びます。こうして17歳の時に呉王・夫差のもとに送られます。

果たして夫差は、この美女にうつつを抜かし、政治や国防をおろそかにし、それから十年の後、越の攻撃に耐えることができずに敗北、亡くなります。

呉の滅亡後、西施は越に戻るのですが、その後の西施については色々な伝説があります。その一つは長江に沈められたというもの、もう一つは元々魅かれ合っていた范蠡とともに越から逃げ出し、二人はその後幸せに暮らしたというもの。昆劇『浣紗記』は、後者の説を取って描いています。

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