出典 http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html
魂の配慮
そうしたソクラテスの立場を言っているのがいわゆる「魂の配慮」という言葉です。魂というのはこの場合、譬えてみれば「車と運転手」の「運転手」に譬えられます。車の方は「肉体」ということになります。つまり私たちは具体的には「肉体」が動いているわけですが、それはそれ自体が動いているわけではなく、外から入ってくるデーターを感覚し、それに対して感情を持ち欲望をもちつつ、「考え判断し決断して」車を動かす「運転手」に相当する「魂」が動かしている、というわけです。
この魂の優れが何より大事なのは「車」の譬えでも説明つくでしょう。運転手が駄目な車はとんだ迷惑になってしまいます。そしてこの「魂の優れ」とは当然「富や権力、地位、名誉」などではなく、「よく、正しく、麗しく」いってみれば「勇気あり、賢く、節度あり、敬虔な」所に実現しているわけです。
これこそがソクラテスにとっての「人間の優れ=アレテー」であったのです。時にこれは「徳」と訳されることもありますが、これは「内容」を取ったときの訳となります。しかし、「徳」という訳語には「儒教的なイメージ」があって良い訳とは言えず、研究者は苦労しています。
無知の知(不知の知)
こうした文脈で、いわゆる「無知の知」ということが言われてくるのですが、これはようするに以上にみてきたような「人間の優れ」「善・正しさ・麗しさ」の本質について「人間は本当のところを知らないが、その限り無知であるけれど、人間は知らないということを知る存在だ」、という人間のありようと、そういう存在であることの自覚を促す(つまり自分は正しさについて「知っている」といった態度をとるのではなく、むしろ「追及さるべき問題」として自覚し追及しながら今を生きて行く)ソクラテスの立場を示した言葉です。
そして、この無知というのは、「何も知らない」ということより、今言及したような「善・正しさ」などについて現実社会の盲目的肯定の態度から、それを「疑い、吟味」する態度を意味しています。
「対話法」「産婆術」
そうして「追求」していっても、これは人間である限り行き着くことはないでしょう。ただし永遠に得られないというのは「完全には」ということであって、追っても無駄ということをいっているわけではありません。頂上まではいけないにしても、かなり高いところまではいけるのであって、フィロソフィアの目的とは、その「登攀」そのものにあるのです。そしてこの登攀の道が「理性と論理による吟味の道」という形で示されてくることになります。
その道がいわゆる「対話法」とか「産婆術」とか呼ばれるやり方でした。これは、例えば勇気なら勇気について二人ないし数人がお互いに意見を出し合い、吟味してどんな小さいつまらないものであっても矛盾がないかを見出だし批判し、さらに修正意見を出し、それをまた吟味し、また修正し、というやり方で、「どんな反論にも動じないような、強固な意見を見出だして行く」、という方法論でした。
この見いだしていくのは「本人」がしなければならないことで、盲目的に他人の意見に従ったり、あるいは従わせてはならず、年長者の場合なら若い者に「刺激」を与えたり「経験・知識などの思考材料を与えたり」「考え方を指導したり」していく一方、若い者は自分の「経験・知識の不足」を自覚し「謙虚に」学んでいく姿勢を持っていなければならないとしていました。これを「産婆」のやり方になぞらえて「産婆術」と呼んでいます。
こうして見出だされていったものは、もちろん議論上のこととされるのではなく、人生上のこととして「生き方の原理」にされていかなければなりません。たとえば「人はどんな仕方であれ不正を働いてはならない」といったような命題があり、これはいかなる議論をもってきても揺るぐことがない、としてこれを行動の原理にしていました。これは結局、ソクラテスが不当な判決であったとしても「裁判を受け入れる」として裁判所に出向いて、十分正当と認められる論告を許されたその結果であるからとして「死刑判決」を甘受した理由の一つになってきます。こんな具合に、ソクラテスの示した「フィロソフィア」というのは具体的なものだったのです。
仮面かぶり、皮肉のソクラテス
ところが、です。ソクラテスが吟味・反駁をくりかえして、人が少しずつ真実に近付いている姿を見ますと、人々にはソクラテスが「知者」に見えてきます。知者なのに教えない。こういう在り方が「とぼけて教えない」「無知の仮面をかぶったソクラテス」と見られてしまいます。こうして「アイロニー(皮肉)のソクラテス」となってきます。こういうイメージは、あまりいい印象を与えません。
特に、この対話は「正や善についての無知」の自覚を相手に迫ってきますから「知者」を誇っている社会的指導者にとっては実に厄介なものでした。そしてソクラテスは「知」を問題にする限り「知者」を誇っている人たちを第一に訪問して対話していきましたから、そうやって対話の中で無知が暴露されてしまった指導者、文化人などの有力者にはソクラテスは怪しからん奴となります。
彼等はここから「探究者」となることはしないで、「ソクラテスを消す」ことを考えていきました。こうして結局ソクラテスは政治的指導者や文化的指導者に訴えられて死刑にされていったわけでした。
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