高知
国名は、古くは『古事記』『日本書紀』では「土左」、『先代旧事本紀』では「都佐」と記されている。元々は「土左」で和銅6年(713年)の好字令で「土佐」に改められたといわれるが、和銅6年以後も「土左」と「土佐」が混用されている。平安時代中期に至り「土佐」が一般的な表記となったとされる。
「トサ」の語源には、俊聡・遠狭・(浦戸湾を指して)門狭などの諸説があるが明らかではない。土佐藩山内氏の城下町名に由来するが、下記の通り、「河中山」から「高智山」「高智」「高知」へと変化したものである。
慶長8年(1603年)、「高知城(元:大高坂山城)」が鏡川と江の口川に囲まれた地にあったことから、山内一豊が入城した際、真如寺の僧「在川」によって、「大高坂山城」から「河中山城(こうちやまじょう)」と改名された。しかし、この地は洪水が多く、第二代藩主の山内忠義が「河中」の字を嫌ったため、慶長15年(1610年)、竹林寺の僧「空鏡」によって「高智山城」と改名された。その後、「山」が省略されて「高智(高知)」となり、城下町名も「高知」となった。
高知城の周辺は、鏡川などの川に挟まれた地形であった。このため、高知城は当初、「河中山城」(こうちやまじょう)と呼ばれていたが、音を借りて「高智山城」と改め、やがてこれが略されて「高知城」となった。
香川
県名は、県庁所在地の高松市が所属していた郡名に由来する。郡名は、「香河郡」として奈良時代から見られ、その由来は、「かが川」の転で「かが」は平坦な草地を意味するという説。
古来より雨量が少なく、夏期に水枯れする河川が多かったことから、「かれかわ(枯川)」が転じて「かがわ」になったとする説。郡には樺の古木が河川に落ち、郡中がその香りに満ちていたことから、「香川」になったとする説。「香」は温泉の臭気のことで、「川」はその温泉を指しているといった説など多くある。
「香河郡」の例から、音変化後に「香川」という字が当てられたのではなく、「香る川」の意味のままで良いと考えられることから、樺の木の説か温泉の臭気の説が妥当である。
香川名については、奈良時代、郡鄕制であったので、和名抄の中に香河郡香川鄕の地名として出ています。また、地方の神名、五十香河彦の一部の香河(かがわ)から出たものと推論された説もあります。中山城山(なかやまじょうざん、1763~1837、江戸後期の儒者)の全讃志に、香川郡、北都の山奥に樺河(かがわ)という里あり、上古古木の樺ありて異香芬々(ふんふん)たり、其樹下より出る水かほりありて大河に落ちて、中央を流れて海に注ぐ郡中馥郁(ふくいく)として匂(にお)ひ渡れり、因って香河(かがわ)郡といへり、とあり、香川(かがわ)の字と結びつけた説が古くからありました。
香川(讃岐、高松)名の由来
奈良時代、万葉集に、玉藻(たまも)よし讃岐(さぬき)の国は、国がらか見れども飽(あ)かぬ、と詠われています。
讃岐(さぬき)名の由来については、古事記伝に古語拾遺(こごしゅうい)の記事の中に、手置帆負命(たおきほおひのみこと)の孫、矛竿(ほこさを)をつくる、その子孫、今分かれて讃岐の国に住み、毎年調庸(ちょうよう)の外、八百竿をたてまつる、の文を引き、讃岐の語は竿調(さをのつぎ)の意、あるいは竿木(さをのき)を約(つづ)めた言葉ではないかという。
また、福家惣衛(ふけそうえ、1884~1971、大正、昭和期の教育者、郷土史家)は、さぬきとは狭野の国、小平野の多い地形を示す狭野国であろうという。その他、讃岐の語は、真麦(さむぎ、早麦とも)、狭貫(さぬき)、狭之城(さのき)などに由来する多くの説があります。
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