2017/05/28

善神アフラ・マズダと悪神アンラ・マンユ

 以上の創造神話の中に、すでに悪神が出現しているわけですが、この二神は宇宙の創造以前、一方は「光明」に他方は「暗黒」にいたとされます。

光明にいた善神アフラ・マズダは、そのことを知っていたけど、悪神アンラ・マンユ(アハリマン)は、当初そのことを知らなかったといいます。

 そこで善神アフラ・マズダは、悪神アンラ・マンユに知られないように、この宇宙を創造したといいます。

この第一期の時代が三千年続き、第二期となってこの宇宙は目に見えるようになり、そこで悪神アンラ・マンユは配下の悪魔デーヴァを遣わし、この宇宙に侵入してきたけれど、アフラ・マズダに撃退されて退き地上は平和であったといいます。

 こうして三千年経って第三期となり、再び満を持した悪神は地上へと侵入して善神との間に凄まじい戦いとなった、といいます。

ここにおいて前期にはなかった悪徳が、この地上に充満したといいます。

こうして虚偽、不正、災厄が蔓延っていくわけで、つまり悪神アンラ・マンユの優勢の時代というわけでした。
 
 そしてゾロアスターの登場とともに第四期に入り、この期の終わりをもって最後の審判という終局を迎えることになるのでした

私達は現在、この最後の第四期にいるわけで、この期間は善と悪とが入り乱れ一進一退の時期とされ、人類は悪と戦わなければならず、そうすることで最後の審判で死後天国に行くことができ、悪を選択したものは永遠の地獄に堕ちる、とされるのでした。

こうした善のために戦う人々のため、三千年の千年ごとにゾロアスターを継ぐ者が現れ、人類を指導するとされています。 

 この基本構造は、現実のこの地上世界を悲観的に見る見方が強いと感じられます。

もちろん、最終的には善の勝ちとされるのは当たり前かもしれませんが、地上世界に限ってみると悪神の勢力が圧倒していると見えます。

その中で人類は善神に従うことが要求されているのであって、このことは現実の人間世界は悪に支配されている、という世界認識があるからでしょう。

つまり、この地上世界には悪がはびこっている、しかしそれに負けずに正義を守ろう、というアピールになっているわけでした。

これは後にキリスト教とイスラーム両者でも基本的な立場となります。

もちろん、他の宗教にはこうした主張がないというわけではありませんが、しかしこのアピールが核になっているというのは、ゾロアスター教の強い特徴であるように考えられます。

こうした考え方のところに「最後の審判」といった思想が生じてくるのではないか、と考えられるのでした。

 ゾロアスター教で最も重要な思想の一つが、この「最後の審判」と「天国と地獄」という思想で、これらは一般にキリスト教の思想だと思われてしまっていますが、そのキリスト教の母胎であるヘブライ神話にはこうした考えは全くなく、それ故このキリスト教の思想は遠く、このゾロアスター教の影響下にあるのではないかと推測されるのです。

 といっても、もちろんその経緯はユダヤ教の一派を通して、となります。

つまりユダヤ人はペルシャの支配下にあった時に、この解放者でもあったペルシャの国教であるゾロアスター教の影響を強く受けたと考えられるのです。

つまり、イエス時代のユダヤ教のパリサイ派には、こうした思想が見られる一方、ヘブライ神話にこだわる保守的なサドカイ派には、こうした思想が全くありません。

ということは、ユダヤ人がバビロン補囚の後、ペルシャの支配下にあった時代に、後にパリサイ派を形成する学者たちが、このゾロアスター教の影響を受けた可能性が非常に強いということです。

●天国と地獄の考えと終末論
 その「最後の審判」と「天国と地獄」ですが、人が死ぬと魂は三日三晩さまって自分の生前の言葉や思考・行為などを思い巡らせ、裁判の場所に向かうとされます。

 そこには三人の裁判官がおり、死者のすべての言葉・思考・行為が記録されている台帳があって、それによって善人と悪人とが判別されるとされます。

 そして善人の魂は美しい乙女に導かれ、悪人は醜い老婆に導かれて「チンワントの橋」に向かうことになり、善人はこの橋を何なく渡れるのに対し、悪人にはこの橋は剣となってしまい、悪人の魂は切り裂かれ悲鳴と共に地獄に堕ちることになると言われます。

 善人の魂は天国に迎えられ、星の世界、また月の世界で、さらに太陽の世界で温かくもてなしをうけた上で、最高神アフラ・マズダの下に行き永遠の平安の人生が約束される、となります。

 悪人の魂は、天国の始めの「星・月・太陽」の三つの世界に対応する小地獄の世界があり、その三つの世界で散々に責め苦を受けた挙句、最後の地獄に堕ちて、文字通り「地獄の釜ゆで」など悲惨この上ない拷問、責め苦を永遠に受けることになる、とされます。

 この地獄には、終わりというものがありません

ですから生前での本当に短い人生の間の選択が「天国での永遠の平安」か「地獄での永遠の苦悩」かを決めてしまう、とされるわけでした。

 一方、この個々人の裁判に加え、人類そのものの最後の審判というものがあって、ここで死者はすべて復活してきます。

ところが、そこに天より巨大な彗星が落ちてきて、全てをその業火で焼き尽くしていくとされます。

しかし善人は、その火を何とも思わず暖かな牛乳のように思うのに対し、悪人には灼熱の火となって全身を焼き尽くすとされます。

そして善人は三日三晩もてなしを受けて天国に戻っていくのに対して、悪人は三日三晩溶鉱炉で焼かれ、再び地獄に堕ちていくとされます。

一方、ここで善神と悪神の最後の決戦が行われ、悪は滅び去って世界は再び悪神の侵入しなかった状態へと戻る、とされるのでした。

 この復活世界の終末の思想も興味深いもので、これまたヘブライ神話には全くなく、しかもキリスト教の中心思想となっています。

この影響は、やはりこのゾロアスター教しか考えられないわけでした。

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