2017/05/13

日本書紀(第九段一書)(1)

第九段一書(一)

天稚彦

一書によると、天照大神が天稚彦に「豊葦原中国は、私の子が治めるべき地である。しかし、強暴な悪い神々がいるので、先に行ってこれを平定せよ」と命じて、彼に天鹿児弓(あまのかごゆみ)・天真鹿児矢(あまのまかごや)を授けて地上へ遣わした。しかし天稚彦は多くの国神(国津神)の娘を娶って、8年経っても報告に戻らなかった。

そこで天照大神は思兼神を召して、来ない理由を尋ねた。思兼神は、雉(きぎし)を遣わして天稚彦に聞かせよう、と進言した。派遣された雉は天稚彦の門の前の湯津杜樹(ゆつかつら)の梢に止まって

 

「天稚彦は何故、8年もの間、復命をしないのか」

 

と鳴き問う。その時、国神の天探女が雉を見て

 

「鳴き声の悪い鳥はこの木の上にいます。射殺しましょう」

 

と言った。天稚彦は天鹿児弓・天真鹿児矢で雉を射抜いて、その矢は雉の胸を貫き遂に天神(天津神)の所にまで届いた。その矢を見た天神は

 

「天稚彦に与えた矢が、何故ここにあるのか」

 

と言った後、矢を手に取って

 

「もしも邪な心で矢を射ったのなら、天稚彦は必ず害に遭うだろう。だがもし正しい心を以て射ったのなら、何も悪いことは起きないだろう」

 

と呪いを掛けて矢を投げ返した。その矢は天稚彦の胸に命中して、彼は即死した。

 

天稚彦の妻子たちが天から降りて、棺を持ち帰り、天に喪屋を作って殯を行った。天稚彦の親友の味耜高彦根神も天に昇って友を弔い、大いに泣いた。ところが、天稚彦とよく似ていたため、天稚彦の妻子たちは

 

「我が君は生きていた」

 

と言って、その衣服にすがりついていた。すると味耜高彦根神は怒り

 

「亡くなった友を弔うためにここへ来た。どうして死人と間違うのか」

 

と言って、十握剣で喪屋を切り倒した。その小屋が落ちて美濃国の喪山となった。

 

ここで

 

「天なるや 弟たなばたの うながせる 玉のみすまるの 穴玉はや み谷 ニ渡らす 味耜高彦根」

 

という歌は葬式の参加者、あるいは味耜高彦根神の妹の下照媛が作ったものとされる。更にもう一つの歌を歌ったという。

 

阿磨佐箇屢 避奈菟謎廼 以和多邏素西渡 以嗣箇播箇柁輔智 箇多輔智爾 阿弥播利和柁嗣 妹慮予嗣爾 予嗣予利拠祢 以嗣箇播箇柁輔智

(あま)(さか)る (ひな)() い渡らす迫門(せと) 石川(いしかは)片淵(かたふち) 片淵に 網張り渡し 女ろよしに よし寄り() 石川片淵

(田舎の女が瀬戸を渡って石川の片淵に魚をとる。その淵に張り渡した網を引き寄せるように寄っておいで、石川の片淵よ)

 

経津主神と武甕槌神

その時、天照大神は思兼神の妹・万幡豊秋津媛命(よろずはたとよあきつしひめ)を正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊に娶せた。天照大神は彼に天降りを命じたが、天の浮橋に立った天忍穂耳尊は地上を見て

 

「未だに平定されていないこの醜い国は嫌だ」

 

と言って、すぐに天に戻った。そのため、天照大神は武甕槌神と経津主神を派遣した。

 

2柱の神は出雲に降りて、大己貴神に

 

「この国を天の神に譲るか」

 

と問うた。大己貴神は

 

「私の子の事代主は鳥を狩りをしに三津之碕(みつのさき)にいます。彼を尋ねてからご返事致します」

 

と答え、使者を遣わして訪ねさせた。事代主神は

 

「天神の要求されるところであれば、奉りましょう」

 

と返事して、大己貴神はその言葉を報告した。2柱の神は葦原中国が平定されたことを復命すると、天照大神は天忍穂耳尊にふたたび天降りを命じた。しかし、この時には既に皇孫(瓊々杵尊)が生まれていたため、天忍穂耳尊は

 

「私の代わりにこの皇孫を降臨させようと思います」

 

と申し上げた。その結果、皇孫が地上へ降ることになった。

 

第九段一書(二) - 経津主神と武甕槌神


天神は経津主神と武甕槌神を遣して葦原中国を平定させようとした時、2柱の神は

 

「天には天津甕星(あまつみかほし)、またの名を天香々背男(あまのかかせお)という悪い神がいるので、まずこの神を征服してから葦原中国を平定しよう」

 

と告げた。天津甕星を征するための斎主神(いわいぬしのかみ)は斎之大人(いわいのうし)とも言い、東国檝取(かとり)の地に鎮座する

 

2柱の神は出雲の五十田狹の小汀に降りると、大己貴神に

 

「この国を天の神に譲るか」

 

と問い詰めた。大己貴神は天津神を騙って我が国を奪いに来たのかと疑い同意しなかったので、経津主神は一旦天に戻って報告した。そこで高皇産霊尊は再び2柱の神を大己貴神に遣わして

 

「現世の政治は我が孫が治めるべきものなので、代わりに幽世の神事を掌れ。お前の住むべき天日隅宮(あまのみすみのみや)を造ろう。お前の祭祀を掌るのは天穂日命である」

 

と言った。すると大己貴神は

 

「天神の仰せは行き届いております。従わない訳にはいきません」

 

とようやく交換条件を受諾する。岐神(ふなとのかみ)を2柱の神に自分の代わりとして推薦してから、大己貴神は永久に隠れた。

 

経津主神は岐神を先導役として、葦原中国を平定した。服従しなかった者を斬り殺して、従った者には褒美を与えた。この時に帰順した首長は、大物主神(おおものぬし)と事代主神であった。そして大物主神と事代主神は八十万神を天高市(あまのたけち)に集めて、それらを率いて天に昇って忠誠心を示した。高皇産霊尊は大物主神に

 

「もし国神を娶れば、お前には謀反の心があると思ってしまう。だから、私の娘の三穂津姫(みほつひめ)をお前の妻とさせたい。八十万の神々を率いて、永遠に皇孫(すめみま)を守護し奉れ」

 

と勅して、下界に帰り降らせた。

 

第九段一書(六) - 無名雄雉・無名雌雉

高皇産霊尊が皇孫の瓊々杵尊を葦原中国に降臨させようとした時、八十諸神に

 

「葦原中国は大きな岩や、木の株、草の葉もよく言葉を話す。夜は火の粉のように喧しく、昼はハエのように沸きあがっている」

 

と云々。

 

高皇産霊尊は

 

「昔、天稚彦を葦原中国に遣わした。今でも報告に来ないのは、国神には抵抗する者があるからだろうか」と言い、無名雄雉(ななしおのきぎし)を遣わした。この雉が飛び下って、粟や豆の畑に留って帰らなかったので、高皇産霊尊は今度無名雌雉(ななしめのきぎし)を送り出した。この鳥は天稚彦の矢に当たって、天に戻って報告した。

 

ここからは天孫降臨に繫がる。その項も異伝であり、要所要所で略すのは他の書と酷似するからと思われる。

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