2017/05/07

旧石器時代の日本(3)



●住居と墓制
日本列島の旧石器時代の遺跡は、台地・段丘・丘陵・高原などの見晴らしの良い洪積世の台地縁辺にあることが多い。

日常生活の場としての拠点遺跡、獲物の解体場遺跡、石器製作場遺跡などがある。

定住住居跡の出土例が少ないことから、旧石器時代人は一定の生活領域内を移動しながら採集狩猟生活をしていたと考えられている。

旧石器時代の人々は、多く洞穴や岩陰を住みかとして利用していたことが知られているが、そうした中にあって少ないながらも竪穴住居が見つかっている。

大阪府藤井寺市のはさみ山遺跡の住居は、よく知られている。

住居は、約22000年前の木材を組み木にして草や皮で覆ったもので、形の整った径6メートル、深さ20センチメートルの円形竪穴住居である。

外周に柱穴を持つもので、径10センチぐらいの材を20本近く斜めに立て並べ、中央で簡単な組み木を施している。

この住居跡からは、構造がよく分かったうえにサヌカイト製のナイフ形石器や翼状の剥片が、約200点も一緒に出土している。

調理・暖房・採光のための石囲炉、地床炉、土坑炉などがあり、熱のために赤色化していたことで、火が使われていたことが分かる。

土坑の形態は多様で、貯蔵穴かどうか分かっていない。

礫群は、こぶし大前後の川原石が径12メートルの範囲に数十個以上密集したもので、火熱を受け赤色化していて、調理施設に関連したものと考えられている。 

一個から数個散らばっている配石は、幼児頭大の礫で火熱を受けた後がなく、厨房や作業台に使ったものと考えられている。

その他、死者を埋葬する土坑墓が見つかっている。

死者の生前の装身具や石器・玉などが副えられ、そこにベンガラ(赤色顔料、べにがら)が残っているものがある。

シベリアやカムチャツカ半島、東アジアでの死者を埋葬する習俗が、遅くとも2万年前には出来ていたらしい。

旧石器時代の遺跡は、石器や剥片などの遺物が集中している箇所が複数、複数の礫群、配石と炉址、住居跡、土坑、墓坑などで構成されている場合が多い。

集落の規模と構成は、まだ分かっていない。

●土器の出現
日本で最初の土器が、どのようにして出現したのかは、はっきり分かっていない。

しかし世界でも最古級(約16500年前)の土器が、青森県の大平山元遺跡から出土していることから、日本で出現した可能性が高い

旧石器時代の終末に、九州では豆粒文土器(長崎県・泉福寺洞窟)、本州では無文土器が出現している。

一般に土器は、運搬・貯蔵・煮炊きに使われるが、出現期の土器の役割はまだ十分解明されていない。

●木の文化
石器時代の文化といえば石器を思い浮かべるが、日本列島の豊かな森林資源を忘れてはならない。

これまでに、板状の木製品と木の柱を使った住居跡が見つかっている。

板状の木製品は、明石市西八木遺跡で約65万年前の砂礫層の中から、ハリグワという広葉樹を用いた板状の木製品(加工痕のある木片)が出土している。 

この木片は長さ23.4センチ、最大幅4.8センチ、厚さ4ミリで、少なくとも2種類の石器で加工されている。

用途は、まだ分かっていない。

この砂礫層の年代の板だとすると、中期旧石器時代の板ということになり、旧人が工作した板ということになる[要検証]

竪穴住居といえば、縄文時代や弥生時代の住居形態を想起するが、竪穴住居が旧石器時代に遡っただけでなく、旧石器時代人が石器だけでなく木を使っていたことが分かってきた。

木に石器を取り付ければ、鍬・斧・槍・矢・スコップなどの生産用具を作り、生産効率を上げることが出来る。

10センチくらいなら、今の建築材料の柱の太さとそう変わらない。

それを20本もだから、木の柄の付いた斧で木を倒したのだろうか。

●食糧の獲得
旧石器時代人は、主として狩猟によって食糧を得ていた。

当時の遺跡からは、野牛・原牛・ナウマンゾウなどの大型哺乳類の骨、ニホンシカ、イノシシ、ノウサギなどの中・小哺乳動物の骨が発見されている。

大型哺乳動物を解体する作業場となる、キル・サイトも発見されている。

このように、旧石器時代人は大型哺乳動物を追う狩人たちであったと思われる。

竪穴住居跡を伴う遺跡が殆ど発見されていないのは、旧石器時代人がキャンプ生活をしながら移動を繰り返していたからだとも推定されている。

漁労の直接的な証拠は発見されていないが、そのような活動があっただろうとは推測されている。

まず、伊豆諸島の黒曜石が南関東で出土しており、同諸島で細石刃が発見されている。

ここから、旧石器人も何らかの航海技術や、海上交通の手段を持っていたことが想像できる。

さらに日本の旧石器文化が、シベリアとの強い関連性があることが分かっており、そのシベリアで固定式のヤスや離頭式の銛頭が見つかっている。

日本は酸性土壌のため人骨や獣骨が残りにくいが、日本でも同様の道具を用いて刺突漁を行なっていた可能性がある。

縄文時代の人々にとっては、植物採取が食料獲得の中で大きな比重を占めていたが、旧石器時代の人々にとっては、どちらかというと狩猟が主体であったようだ。

当時は、数百kmにも及ぶ距離を移動していたという[要出典]から、それは移動性のある動物の行動生態と関連しそうであるし、また彼らの道具を見ると植物質資源の加工・処理に有利な頑丈なタイプの石器(削器や石斧)よりも、狩猟具に使いそうな先の尖った石器(有背石刃、尖頭器)や、壊れ易いが鋭い刃(石刃、細石刃)のある石器というような道具が発達したからである。

●更新世(洪積世)の人類化石
日本列島は火山列島とも呼ばれるように、更新世の火山噴火による火山灰が瀬戸内、近畿地方を除く日本列島の大部分に降り注いだため、骨を分解してしまう酸性土壌の占める地域が多く、旧石器時代の遺跡に人骨・獣骨化石が残る例が殆どない。

こうした中でも、これまで更新世人類化石として知られていた例も多かった。

しかし、C14年代測定法や再検討の結果、それらの多くが更新世人類化石の地位を失い、静岡県の浜北人と沖縄県の港川人とが更新世人類とされている。
※Wikipedia引用

0 件のコメント:

コメントを投稿