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始皇帝個人
始皇帝自身については、天下の様々な事務を大小となく自ら決済したという、恐るべき逸話がある。その様は「天秤で書類の重さを量り、それを昼と夜の分に分けて、すべて処理するまでは休まなかった」といわれている。もっとも、その資料は上述した予算を引き出しながら逃亡した方士の捨て台詞であり、「それほどに権勢欲が強かった」と非難めいた口調で締めくくられている。
一方、始皇帝は自分の一族を「王」に任命して、土地を与えることはしなかった。皇族といえども、任務についていない以上は、形式として「無位無官の匹夫」として扱っていた。これは韓非子の述べる「近親・寵臣・寵姫は、すべからく政治の不安定要因となる」という論に従ったものであろう。そのせいもあってか、史書に始皇帝の皇后や寵姫などは名前さえ伝わっていない。
また秦の宿将たる王翦は、始皇帝について、
「その性は暴であり、ひとたび疑いを持たれれば、どのような命が下るかわからない」
という評を残しており、敢えて任務成功時の報酬ばかり考えている浅はかな将軍を演じることで、始皇帝からの疑いを避けた。
なお、先代秦王・荘襄王の子ではなく、母・太后と丞相(総理大臣)の呂不韋の間の子とする説もある。というのも、趙太后はもともと呂不韋の愛人であったのが、その美貌に惚れた若いころの荘襄王が頼み込んで譲ってもらったという経緯があり、実はこの時点で妊娠していたのではないか、と噂されたため。本人が、それをどう思っていたかは知る由もないが、のちに呂不韋は始皇帝に追放され、自害に追い込まれている。
始皇帝死後
始皇帝は、在位三十七年にして、巡業中の沙丘の地にて没した。このとき始皇帝は、北方にて蒙恬のところに預けていた扶蘇に、葬義を取り仕切るよう遺言を残した。事実上の後継者指名である。
しかし、この時行列に加わっていた末子の胡亥と、宦官の趙高が策謀を開始。李斯を抱き込み、始皇帝の遺勅を改ざんして、扶蘇・蒙恬・蒙毅(蒙恬の弟で始皇帝の側近)を死に追いやり、自らが皇帝に即位した。二世皇帝・胡亥とそれを擁する趙高は、即位後、庶皇子や宮女、大臣を粛清。後には李斯すら処刑される。
この状況下で、ついに陳勝・呉広の乱が勃発。秦朝は名将章邯の奮戦がありながらも、結局は劉邦・項羽の攻撃により、わずか15年で崩壊した。
ただ、秦帝国の政策は、その多くが前漢王朝に引き継がれた。蕭何は始皇帝時代の統治資料を陥落直後の咸陽からできるだけ回収し、後の全国運営の基礎とした。また、かつて始皇帝の命を狙った張良も、劉邦に封建制の非を説いている。
そして、以降の王朝は皇帝の絶対権力と、その手足となる官僚による統治機構を受け継いでいくことになる。
後世の評価
初めて中華統一を成した英雄だが、賛否両論にきっぱり別れた難物である。春秋戦国時代にピリオドを打ち、漢字の統一による文化事業、通貨や度量衡の統一による経済システムの確立や、街道・運河などインフラの整備といった革新的な社会事業に取り組んだ。特に始皇帝の文化事業によって、現在の中国文化圏がほぼ形成されたことは否定しようのない事実である。
反面、それらを民衆の生活現状・被侵略国の民という意識を無視して断行したこと、自らと政権に対する批判思想を弾圧したことも事実であり、煩瑣に過ぎる法律の制定や、万里の長城建設といった難事業の連発によって、民衆の不満を蓄積させたことが後の秦国崩壊の遠因にも成った。
それまで各国の王による、おおざっぱな統治が敷かれていた中華に法治主義を持ち込み、官僚主体の中央集権国家を築き上げた点も、非常に革新的ではあったが同時に民衆の不満を溜めることになった。
法治主義に慣れていた秦国は良いとしても、併合された諸国では「法による支配」という概念そのものに理解が及ばず、当時は法律に縛り付けられることに嫌悪感を感じる層が大半であった。法の番人たる地方役人にも、法を手前勝手に悪用する輩が続出したため、秦の法治主義に対するマイナスイメージを助長してしまったことは否めない。
また、始皇帝は年々誇大妄想や傲慢さに拍車が掛かり、自己神聖化を推し進めたともいわれている。少なくとも不老不死を願い、その実現のため巨額の財を散じたこと、巡幸の先々で「始皇帝の統治を称える碑」を建て続けたことは事実のようだ。
呂不韋と嫪毐の反乱、その後の苛烈な粛清も、近年の研究では当時の「彗星の出現」という「凶兆」を利用し、むしろ始皇帝側から仕掛けたのでは、とされる意見も出てきている。
ただし、「史記・秦始皇本紀」には、開墾や移民に成功した住民への宴会の開催や、労役・賦税の数年に渡る免除、爵位の付与など、様々な褒賞を与えた記録も見られる。
上述の「立石碑文」のように、始皇帝サイドからの主張も(プロパガンダ色が強いが)歴史には残っている。
こういった功罪入り交じった業績故に、始皇帝は今でも論争の的となっている。
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