2007/04/01

モーツァルト 交響曲第31番『パリ』(第2楽章)



いかにもモーツァルトにしか書けなそうな魅力的な曲は、ギャラント様式(バロック様式のけばけばしさへの反発であり、バロック音楽にくらべより素朴で、ごてごてと飾り立てておらず、流麗な主旋律の重視に伴い、ホモフォニックなテクスチュアと、楽節構造の軽減や和声法の抑制(トニカとドミナントの殊更な強調)といった特徴がある)の影響を受けた上品な音楽である。

 

パリ訪問前に訪れたマンハイムでは、モーツァルトはカルル(1745-1801)とアントン(1717-1757)2人のシュターミツ兄弟、クリスティアン・カンナビヒ(1731-1798)といった音楽家と知り合い、管楽器の重視による色彩効果、ダイナミックな表現法などを学びとっていた。そして、何よりも同地の稀にみるほど優れたオーケストラは、彼に大きな驚きを与えた。一方、1778年3月に到着したパリでは協奏交響曲がもてはやされており、華麗な様式が息づいていた。

 

折しも、ル・グロから交響曲の作曲依頼を受けたモーツァルトは、マンハイム楽派の様式にフランス的な表現法を織り込み、さらには彼独自の統一力のある構成法と豊かな楽想を加えた〈大交響曲〉を、マンハイムにひけをとらないパリの大オーケストラのために作曲することとなった。こうして、モーツァルトの交響曲創作の新しい一歩が踏み出されたのである。

 

『パリ交響曲』の第一の特徴は、クラリネットを初めて採用した完全な2管編成を採っていることだ。完全な2管編成となると、後期の交響曲においてすら第35番『ハフナー』以外には用いられなかったもので、ここでそれを採用したのはマンハイムでクラリネットを十分に識ったことに加え、パリのオーケストラでもそれが活用できたからであった。さらに、随所に見受けられる管楽器の協奏的効果も、当時マンハイムで活躍していた管楽器の名手たちから啓発されたものであり、パリの協奏交響曲の書法を受け継いだものでもある。 

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