2007/04/07

回帰(東京劇場・第3章part8)

  B社のH氏、T社のK氏、J社のC氏、そしてL社のS氏らからは、競うように次々と案件情報が流れてきていたが、最終的には紹介案件、面接依頼ともに最も多くの要請があったG社から提示された二案件に絞られた。

 

ひとつはNGN(次世代ネットワーク)関係のプロジェクトで、もうひとつはNGNとは無関係だが大手通信キャリアN系列でのVPN(仮想プライベートネットワーク)網の検証作業という案件だ。

 

NGNの方は研究所での勤務であり、今の住まいからは自転車で通えそうな立地条件は大きな魅力だったが、基盤からの設計・構築であり、しかもNWだけでなくサーバまでの全体を一人でカバーしなければならないという高度な要件だった。一方、VPN網の方は、よりNW(特に、Ciscoがメイン)に特化している分、内容的には魅力を感じたし、要件の高さは似たようなものとはいえ、最初のうちは現場の技術者がフォローしてくれるという条件である。

 

ともかく両方にエントリーをしたが研究所の方は予想通りNGとなり、逆にVPN網検証の方は「是非とも」という回答だった。そこまでは、迷う事もなさそうな展開だっただけに「OK」の回答を出そうとしたが、ギリギリのところで提示された金額は、希望からは遥かにかけ離れていた。希望どころか、最低条件に設定していた単価にすら遠く及ばないという、やる気を殺がれるような設定である。

 

「取り敢えず、しばらくこれ以上は難しいようです」

 

「これ以上は無理といっても・・・最低条件すら、かなり下回っているからねー」

 

「確かにそうですが・・・やはりCiscoの経験がないという事で、仕方がないかと・・・条件的には厳しく、やれないというのであればしょうがないですが、ある意味これは大きなチャンスではないか、と思っています。Ciscoの実機経験がないのを先方が知っていて、なおかつ教えるから大丈夫だといっているのだから・・・」

 

「その点だけは、確かにそうだけど・・・」

 

 「元々、Ciscoがやりたかったんですよね?

そのために東京に出てきたのだと訊いていたし、だから私も難しいのを承知で、これまでずーっと希望にマッチする案件だけを探してきました。確かに今回、条件的には過去の水準から見れば低いかもしれませんが、これからやるというところを考えれば、客観的にはこんなもんかなという思いもあります。正直、Ciscoに関しては、これがラストチャンスじゃないか、とも思っていますよ」

 

確かに、その通りなのだ。単価だけ見れば、とても引き受けられる額ではなかった。が、これまで出て来た数多くの案件の中では、間違いなく最も希望に近そうなのである。しかも未経験の分野であり、ともかくこの歳になって現場で教わりながらCiscoを習得していくという話などは、これから出てくるとは思えないのも、C氏に言われるまでもなかった。

 

(やるべきか、やるべきでないか・・・)

 

2年半勤めていた、政府系研究所での収入が良かっただけに、累進課税で税額がかなり高くなっていたから、ここで毎月の収入が10万も減ってしまうのは大きな打撃であり、儲けは非常に薄くはなるが、さりとて赤字になるというほどではない。

 

(赤字では論外だが、取り敢えずそれなりに生活が成り立つのなら、自分が一番やってみたかった事を、やるべきなのか?

そのためにわざわざ、東京まで出てきたのではなかったのか?)

 

と心の中に居る、もう一人の自分の声が応えた。そうした感傷だけではなく、現実にどこの現場もまだNW機器といえばCiscoが殆どだし、この先もCiscoの独占市場という状況が急に大きく変わるとも思えないから、ここで身に付ける技術は一生ものである事にも疑いの余地はないのである。

 

「わかりました・・・初心に還って、本当に自分がやりたかった事をやってみようと思います。ただし今から言う条件が、受け入れられたら、ですが・・・」

 

 「この契約については、取り敢えず最初は三ヶ月での更新になりますので、基本的に3ヶ月のタイミングで増額になるはずです」

 

「そんなに、簡単に上がるものかな?」

 

「上がると思いますよ。元々、これまでの水準や希望を大きく割り込んでいるのは、先方も分かっていて

 

Ciscoの実機経験がないし教えないといけないから、最初の三ヶ月だけは我慢して欲しい』

 

と言ってたから、互いに認識のズレはないです。ただ、3ヵ月後にはスキルが上がっていますから、その時点で再評価という事で合意していますし、今度はうちも強気に出るつもりです。いわば最初は試用期間のようなもので、あとは3ヶ月で、どこまでスキルアップするかによるでしょうが・・・」

 

「では、この仕事を請ける事にしますが、後でごたごたしないように最初に、ワタクシのスタンスを明確にしておきましょう。ワタクシとしては、まず今の条件ではやっていけないが、3ヶ月は我慢して頑張ってスキルを上げる事に勤め、その実績を持って3ヵ月後に再度、希望条件を提示します。その際、もし希望が通らない場合は、それまでに身につけたスキルを手土産にして、もっと条件の良いところに移るかもしれません。それを承知の上であれば、ともかくはやってみるつもりです」

 

「それで結構です。3ヵ月後に、どれだけスキルが上がったかにもよりますが、私としては充分交渉の余地はあるという感触を持っているので、それは大丈夫です。また、もしそうならなかった場合は、ウチの他案件を含めて他に移られるのは、当然ありだと思っています」

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