2007/04/02

モーツァルト 交響曲第31番『パリ』(第3楽章)

 


1楽章とは違い、第2ヴァイオリンの忙しい刻みの上に、第1ヴァイオリンのシンコペーションから幕を開ける。最後の楽章もユニゾンで来ると思っていたパリの客の意表を突くためのアイデアで、モーツァルト自身「やっぱり受けた」と手紙に書いている。

 

ド・サン=フォアは、この交響曲は一見しただけでもマンハイム楽派の影響、それも特にカンナビヒの影響を否定することはできないとしているが、モーツァルトはパリの聴衆の好みに合せるべくフランス趣味をも盛り込んでいる。反面、かつてのザルツブルク時代の交響曲に認められた、オーストリア的内面の暖かさが後退しているとみる向きもあり、極端な場合にはH・アーベルトのように「モーツァルト的ではない」とさえ主張する人もいる。

 

いずれにしろ、モーツァルトがいかに意欲的に、この交響曲の創作に取り組んだかは、その見事な構成法からも十分に知られるが、彼としては珍しいほど推敲を重ねた結果、完成したという事実からも推察される。また、ル・グロの注文により第2楽章は書き直さねばならたかったが、出来上がった「パリ交響曲」は初演で大成功を収めた。

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