特に指揮者として、シューマンの曲を自身で演奏する機会も少なくなかったマーラーが、楽器編成はそのままにオーケストレーションに手を加えた編曲はよく知られており、今でも一部を採用する指揮者が少なくない。
しかし、これらは
「シューマンが、どこかへ行ってしまった」
とも言われ、必ずしも成功したとは言いがたい。
また交響曲第1番では、冒頭部分をバルブなしの金管楽器では意図通りに吹けないことをリハーサル時に知ったシューマンが改訂したと言うエピソードや「4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック」のホルンの過剰な高音域の指定は、現在ではトリプル・ホルンでないと対応できないなど、シューマンの活躍した時代は管楽器の性能の向上がリアルタイムで著しかった時期であり、転調進行に伴う効果的な音色や音量バランスなどを見つけづらい時代でもあった。
そのため、今日では原典こそシューマンの最もオリジナルの意図であったとして、再評価する動きが見られる。
近年では、多くの指揮者が実演ではパート間の音量バランスやフレージングの工夫を主にして対応しており、作曲家でも黛敏郎や佐藤眞らも
「あの書き方で無いとあの音は出ない」
と、この見解を支持している。
しかし、交響曲第3番4楽章冒頭の金管楽器のコラールでは、アルト・トロンボーンに再弱音で最高音域をレガートで演奏する(しかも弱音では、お互い音色が合いにくいホルンとユニゾンで)という通常では要求されない様な譜面を書いている事、また先の交響曲1番のエピソードから、個々の楽器の扱いや響きについては意外と無頓着であった可能性も否めない。
必ずしも、シューマンのオーケストレーションは洗練されたものでなかったかもしれないが、その後の多くの一流作曲家の編曲意欲を掻き立てるだけの魅力を備えていた、という見方も出来る。
素人が僭越ながら、この『ライン』に限っては「シューマンらしくなく」スケールも雄大であり、オーケストレーションもまったく違和感がない。
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