2009/07/01

自己実現の過程(東京劇場・第7章part1)

東京に出てきて、5年の歳月が経過した。

 

「果たして、東京に出てきた意味があったか?」

 

5年という歳月の経過に気付き、愕然とする。この間、大した進歩があったわけではない。正確にはそれなりに進歩した部分はあったし、それなりに意味を見出すことも出来るが、それが「5」という歳月に見合うものかとなると、正直自分でも疑問符を付けざるを得ない。疑問符と言うよりは、当初の想定に照らせば明らかに不充分である、と結論付けるしかないのである。

 

「そもそも自分は、何のために東京に出てきたのか?」

 

といえば、言うまでもなく「自己実現」のためである。

 

東京なんぞは、この際(というよりは、最初から)どうでもいいことなのだ。大事なのは「自己実現」であり、それが出来るならば特に東京でなくてもどこでも良かったのだが、IT技術者としての自己実現を達成するためには、ITプロジェクトや企業などの中枢機能が集中している東京が土俵としては最も相応しいのは、一目瞭然だったに過ぎない。

 

「自己実現」という言葉が、甚だ漠然としてつかみ所がないのだが、つまるところ「よい生き方」のことだと思っている。

 

自己実現にも色々な理論があるが、真っ先に浮かぶのが「マズローの自己実現理論」であろう。

 

《マズローは、人間の基本的欲求を低次から

1. 生理的欲求

2. 安全の欲求

3. 所属と愛の欲求

4. 承認の欲求

5. 自己実現の欲求

 

5段階に分類した。

このことから「階層説」とも呼ばれる。

 

また「生理的欲求」から「承認の欲求」までの4階層に動機付けられた欲求を「欠乏欲求」とし、「自己実現の欲求」に動機付けられた欲求を「成長欲求」としている。

 

人間は満たされない欲求があると、それを充足しようと行動(欲求満足化行動)するとした》

 

学生時代に、この「マズローの欲求段階説」を習った時に、実のところ違和感を憶えずにはいられず、この理論に自らを当て嵌めてみた。

 

1)生理的欲求・・・生命維持のための食欲・性欲・睡眠欲等の本能的・根源的な欲求 (2)安全の欲求・・・衣類・住居など、安定・安全な状態を得ようとする欲求

3)所属と愛の欲求・・・集団に属したい、誰かに愛されたいといった欲求

4)承認の欲求・・・自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める欲求

5)自己実現の欲求・・・自分の能力・可能性を発揮し、創作的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求

 

この中で(1)と(2)は文句なしで(4)についてもわからなくはないが(3)については、どうも自分には希薄だと思えた。

 

「誰かに愛されたい」という気持ちは確かになくはないが、所属愛のようなものとは希薄だ。ところが、マズロー理論では

 

《欲求には優先度があり、低次の欲求が充足されるとより高次の欲求へと段階的に移行するもの、とした。また最高次の自己実現欲求のみ、一度充足したとしてもより強く充足させようと志向し行動するとした》

 

とあるから(3)を実現しないままに(4)や(5)の欲求が強い自分をどう考えるべきか、少し悩んだ。勿論、この「マズロー理論」が、都合のよいビジネスモデルであり《個人的見解、あるいはごく限られた事例に基づいた人生哲学に過ぎず、普遍的な科学根拠や実証性を欠いているのではないか、という疑問も呈されている。

 

例えば(1)~(4)の「欠乏欲求」が満たされていても、(5)の「成長欲求」の満足を求めず生活の安定を求める労働者の例。これは、欠乏欲求が十分に満たされていない(十分に自尊心が育まれていないなど)ために、自己実現の欲求が現れていないとも考えられる》といった批判に代表されるように、モデルとしてはピラミッド型で非常にわかりやすかったが、どうにも納得がいかなかった。

 

《心理学の中でも、最も有名な理論の1つです。非常に明快で分かりやすく応用範囲も広いので、心理学の分野に限らずビジネスの分野でも重用されています。特に人事関連のビジネス書では定番ですね。経営組織論やモチベーション理論を語る場合は、まずはマズローのピラミッド状の階層図が登場します。

 

この理論は「なるほど!」と納得させる説得力があります。でも、このように有名になりすぎた理論は、必ず落とし穴があるもの。どのビジネス書を見ても、これは間違いのない理論であるかのように書かれており、これを前提に話が始まっています。それだけに、この理論を出した途端に誰もが思考停止に陥ってしまって、その枠に却って縛られているようです》

 

不覚にも当時のワタクシもまさに、この「思考停止」寸前の状態に陥っていた。

 

《マズローは欠乏欲求、成長欲求を質的に異なるものと考えた。この欠乏欲求がかなりの程度満たされると、終局的に自己実現の欲求が現れるという。自己実現を果たした人の特徴として

 

      客観的で正確な判断

      自己受容と他者受容

      純真で自然な自発性、創造性の発揮

      民主的性格、文化に対する依存の低さ(文化の超越)

      二元性の超越(利己的かつ利他的、理性的かつ本能的)

 

などを挙げている。

 

自己実現を果たした人は少なく、さらに自己超越に達する人は極めて少ない。数多くの人が階段を踏み外し、これまでその人にとって当たり前だと思っていた事が当たり前でなくなるような状況に陥ってしまう、とも述べている。また、欠乏欲求を十分に満たした経験のある者は、欠乏欲求に対してある程度耐性を持つようになる。そして成長欲求実現のため、欠乏欲求が満たされずとも活動できるようになるという(一部の宗教者や哲学者、慈善活動家など)

 

晩年には「自己実現の欲求」のさらに高次に「自己超越の欲求」があるとした》

 

《人の欲求は低次元から高次元に移行していき、逆戻りしないし一足飛びに高度化しないというのは、本当でしょうか。現実に当てはまらない例が、いくらでもあります。

 

例えば、有名な俳優が無名の下積み時代に、1日にりんご1個の極貧生活でありながら自分が舞台で主役を演じること夢見て、レッスンに励んでいたという事例。この俳優は、1から4の欲求が満たされていないのに、5の自己実現の欲求に突き動かされて行動しています。

 

また高級官僚が、多額の退職金を受けた上に特殊法人の幹部に天下りし、不採算部門の改革をするでもなく、現状維持と保身ばかり考えている事例。1から4までの欲求が収入や社会的地位という形で保証されても、欲求が高度化する気配がまったく見えません。却って低次元の欲求が満たされたばかりに、それに安住し腐敗と堕落が起きています。

 

まだまだ、あります。貧しい生活ながら、創造性豊かな絵画を描き続けた画家。有名になったら、作品を書かなくなってしまった小説家。マズローの理論には、明確な根拠なしとする批判もあります。

 

マズロー自身の出したオリジナルデータも、当てにならないソースでした。彼自身が自己実現していると判断した少人数をピックアップして、その人の伝記を読んだり話を聞いたりして、自己実現とはどういうことかを結論付けました。その少人数とは、リンカーン、アインシュタイン、ガンジー・・・とても科学的とは言えません。

 

マズローは心理学の実証データを元に理論を構築したというより、人間はこうあるべきだという自分の人間観をベースに、この理論を作ったようです。この5段階説は、我が身を振り返るときの人生哲学の1つとして捉えた方が、良のではないでしょうか》

 

ある受験予備校は「合格者返金制度」を打ち出した。報奨金の獲得を励みに、受講生を発奮させようとの狙いだ。しかし不合格者からは、高額の受講料を取られっぱなしの上に、合格もできなかったという二重の不満が爆発することになった。その予備校は、人知れず「合格者返金制度」に変更した。

 

「あの作家は、無名時代に独創的な作品をたくさん書いていたが、文学賞を受賞した途端にろくな作品を書かなくなったなぁ」

「だって一生懸命小説を書かなくても、高く売れるようになっちゃったからね・・・」

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