「一億総白痴化」とは、評論家の大宅壮一が生み出した流行語である。
「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」
という意味だ。
「テレビに至っては紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって『一億総白痴化』運動が展開されていると言ってよい」
これは、当時の流行語にもなった。
また、朝日放送の広報誌『放送朝日』は、1957年8月号で「テレビジョン・エイジの開幕に当たってテレビに望む」という特集を企画し、識者の談話を集めた。
ここでも、松本清張が
「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」
と述べている。
このように、当時の識者たちはテレビを低俗な物だと批判しているが、その背景には書物を中心とした教養主義的な世界観が厳然として存在した。書物を読む行為は、自ら能動的に活字を拾い上げてその内容を理解する行為であり、それには文字が読めなければならないし、内容を理解するために自分の頭の中で様々な想像や思考を凝らさねばならない。これに対して、テレビは単にぼんやりと受動的に映し出される映像を眺めて、流れてくる音声を聞くだけである点から人間の想像力や思考力を低下させる、といったことを指摘している。
出典Wikipedia
例えばラジオにしても、音声だけの一方的な垂れ流しではあるにせよ、人間の感覚に最も強く訴えかける視覚からの情報提供がないだけに、そこに聴取者の想像力が必要となってくるのである。
今ではビデオデッキが普及したが、元々TVは垂れ流しが前提のメディアだから、書物や新聞のような活字メディアのように1行読んだから考えるとか、その場は考えて解らなかったとしても、後で同じ文言を繰り返し読み返す事で理解に至ったり、最初に感じた考えとは別の見解が思いついたりといったような、活字メディアで必要となる思考能力を鍛えるプロセスは、TVには殆ど皆無である。ただ漫然と垂れ流される画面を眺めているだけだから、思考能力が衰えてしまうと言うことである。
大宅壮一が「一億総白痴化」と発言した時代ではテレビは高級品であったが、現在ではテレビが各家庭に普及しており、人々が生活に必要な情報を得る手段としてその利便性が定着し、この語が生まれた頃よりも情報入手の手段として機能的にも向上している以上「一億総白痴化」という語の原義も、陳腐化したり変遷している一面もある。また「白痴化」と同様の意味としては「愚民化」などという語が用いられることがある。
テレビで「○○健康法」やら「○○ダイエット」と称して、ある特定の食品が紹介されると、それを見た視聴者がこぞって買ったことによって、その食品が一時的に品不足に陥ることも何度もあった。
2007年1月に起こった「納豆ダイエット」データ捏造問題は、テレビに影響されやすい人々が、これだけ多いということを露呈した(いわゆる「みのもんた症候群」)
こうしたことを「一億総白痴」の証拠と捉える人もいる。テレビは今でもメディアの王様ですが、ある局で「おバカキャラ」がはやったら、他局もすぐ同じ方向を向きます。あまりにも「右向け右」なんです。
マスコミ各社が事件に押しかけることをメディアスクラムと言いますが、番組の作り方もスクラム状態です。テレビ局は、金が儲かりさえすればいいのです。 みなJ頼みで同じ作り方のテレビは、それぞれもっと頭を使って個性を出すべきなんです(某評論家)
Jといえば、以前にメンバーが深夜に泥酔した挙句に公園で全裸になって騒いでいた、というアホな事件があった。この時、アホな政治家が余計な事を言ってしまったための判官贔屓によって、この狼藉を働いたバカタレントに
「酒を飲んで裸になったくらい、何が悪いんだ」
と愚かな同情が集まってしまい、結局この狼藉は殆どお咎めなしとなった。お咎めなしどころか、地デジ放送のCMにも早々に復帰するという結末となって、関係者の見識のなさを露呈したのである。
このアホバカタレントを一斉に弁護に回った時の、あの集団ヒステリーのような大衆の姿こそは「白痴化」や「衆愚」の極みと言うべきである。
そもそも「たかが酒を飲んで、全裸で騒いだくらい」という認識が、まずもって救い難いくらいに甘すぎる。大学生風情なら、まあ「若気の至り」で笑って済ませられるが、どう考えても30代半ばにもなったオッサンがやる行為ではない。
「マスコミが騒ぎすぎ」と言っても、元々騒ぎたくてハイエナのようにスキャンダルを虎視眈々と狙っているのがマスゴミであり、また騒がれたくて仕方がない連中であり、普段はつまらない事をネタにバカ騒ぎをして貰ってなんぼという商売のヤツらだから、人前でのあのようなイカガワシイ狼藉は甚だ自覚に欠け過ぎていた、と断罪すべきところだ。
「あんなことで、家宅捜索は不当な強権発動だ」という意見もあったが、警察が強権を発動するにはそれなりに事情があったに違いない。ズバリ「イカガワシイ薬でも、やってんじゃねーか?」と疑われても仕方がないような、常軌を逸した醜態だったのだろうと疑ってみるのが世間の常識というものだ。
そのような想像すら働かせようとせず、テレビに映る虚像のみを頼みに
「あんないい人が、そんな悪いことをするはずがない!」
などとヒステリックに喚き立てるところなど、まさにTVに洗脳された「白痴化」なのである。
もっと本質的な問題は、このバカモノの狼藉のために地デジ放送PRのために費やした数十億単位といわれる莫大な血税がドブに捨てられたことで、このように一時の個人の感傷によって同情してみせる甘っちょろさは犯罪的と言える。
事件の話はさておき、形ばかりの謹慎から復帰するとろくな制裁も課せられないまま(違約金ゼロ)に、地デジ放送のキャラクターに復帰したというのだから、これには実に開いた口が塞がらなかった。あの程度の電波芸者ならば、代わりを務めるくらいは幾らでも転がっていそうだと思うが、そもそもコイツに限らずJの連中に金を取れるだけの芸があるのか?
0 件のコメント:
コメントを投稿