2009/07/29

大恐慌(東京劇場・第8章part6)

現場を離れてから気付けば数ヶ月が経過し、冗談抜きでいよいよコンビニかどこかで安価なバイトをするか、実家に泣きついて一時的に避難をするか、それらが嫌ならホームレスになるか、このバカゲタ世におさらばをするか、というところまで追い詰められていた。

 

この月は大手通信業者の面接が2件あり、いずれも大手派遣会社の紹介で面接に行った。N社関連企業はこれまで幾つかの現場経験があり、また作業工程も上流でこれまでの経験値に近いものだったし、面接もかなりの感触があったが何故かどちらもNGとなってしまう。これまでの経験からして、手応えから言えばNGというのは考えにくかっただけに、いずれも「派遣会社の若い営業の力不足が原因」としか思えなかった。

 

冒頭に書いた事情だけに、面接でそのような不満や愚痴をぶちまけるようなことも少なくなくなっていた。そのようにして無駄な面接が繰り返され、いよいよ資金も底を付きかけようかというタイミングで、知り合いの営業H氏から連絡があり、八重洲に面接に行った。

 

一次面接は、簡単なヒアリングだけであっさりと終わり、その日にも続けて元請面接を行いたいとのことだ。今回の募集では「リーダー1人、メンバー3人」が採用枠で「リーダー役を期待している」とのことだった。

 

当初、すぐにも元請面接に行くとの話が、調整の結果、夕方6時から行うことに変更となったため、八重洲地下のスタバや書店などで3時間程度を潰す予定だったが、急遽メンバー面接を先に行うことになり「リーダー面接は、夜の8時以降になる」と、さらに変更となった。となると5時間も時間を潰すのは大変で一旦帰ることにしたが、八重洲まで二往復は交通費が嵩むから

 

「これ以上の変更には、対応できかねる」

 

と釘を刺した。

 

「今はこれだけ仕事がない状態だから、ユーザーのワガママも我慢しないといけない」

 

などと、若い営業のH氏は上から目線でユーザーのご機嫌取りに汲々としていたが、契約はあくまで両者の利害の一致と考えているこちらとしては、そこまで迎合するつもりは毛頭ないと考えながら夜8時に面接に行くと、そこには数十人の面接者が行列をなしていた。

 

面接場所には会議用のような大きなテーブルが二つあり、ネットワーク担当とサーバー担当に分かれ、それぞれ10人以上が合同面接を受けることになった。

 

「時間も遅いですし、人数も多いので各自5分程度で自己紹介とPRをしてください」

 

という面接官(現場のPM)の言葉に続き、大勢の技術者が順に自己紹介を行うと、その都度、面接官から技術的に鋭い質問が飛んで来る。面接官の隣の席になったこちらはなかなか名前を呼ばれず、順に消化されていく技術者の紹介を聞いていると、ようやく最後に名が呼ばれた。

 

ひと通りの説明を行ってから質問を待っていると、他の技術者には鋭い質問を飛ばしていた面接官だったが

 

「セキュリティ方面が、特に強いということですね?」

 

という質問ひとつだけで、呆気なく終了した(他の技術者に比べ、スキルシートに詳細内容を記載しているためかもしれない)

 

何度も繰り返すように、こうした業務案件というものはない時にはまったくないが、出て来る時には不思議と重なって来るものだ。この面接の時も、翌日に有力そうな面接が設定されていた。そして翌日の昼、面接先の某社ビルに着いたタイミングで、前日の面接結果が「OK」で、翌週からにもすぐに現場に入場して欲しいという連絡が入る。とはいえ、すでに現地に来ているし、これまで何度も「内定」の通知がありながらひっくり返されてきた経緯があっただけに、抜かりなくもうひとつの面接を終えた。

 

翌週から参画することになった現場は、某官庁系のWeb系システム移行プロジェクトだった。元請の大手メーカーF社の現場に入場すると、同じように先日の面接で採用された技術者が約10人いた。もっとも10人とはいっても、ネットワーク技術者は自分だけで、残る10人前後は全てサーバー技術者だった。つまり、あの合同面接で「リーダー候補」として一緒に面接を受けた10人以上のネットワーク技術者の中で、合格したのは自分だけだった。

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