2009/07/28

テレビによる白痴化(1)

19世紀に生まれ20世紀前半に大発展を遂げた映画は、20世紀後半になるとテレビに「娯楽の王様」の座を明け渡した。皇太子ご成婚~東京オリンピックという大イベントもあったが、高度成長期で世の中全体の景気がよくなり、テレビが庶民にも手の届く価格帯になったという時代背景が大きい。

 

テレビ受像機自体はまだ高かったとはいえ、一旦購入してしまえば電気代は映画館の入場料に比べればタダ同然のようなものだし、映画とは違いわざわざ外出しなくても自宅で気軽に楽しめるという利点がある。映画を見るためには外出をしなければならず、映画館といえば大抵は駅前などの繁華街にあるものだから、一応はそれなりのオシャレも必要となってくる。で、せっかくそれなりに着飾って出るのだから、映画を見ただけで終わるのも芸がないし、どうせ繁華街に行くのだからなにか食事でもしていきましょうといったことで、色々と余計な金が掛かることになるのである。

 

ましてや、田舎住まいともなれば近所に映画館もなく、あったとしても見たい映画を上映していることはそうそうないだろうから、わざわざ車や電車で出かけなければならない、といったような面倒も伴った。

 

それに比べれば、テレビは遥かに楽だ。なにせ金が掛からないし、わざわざ外へ出かける必要もない。おまけに、映画のように向こうの都合に合わせなくても、自分の気が向いた時にいつでも好きな番組を見ることが出来る。

 

周囲の人目を気にする必要もないから、食事をしながらだろうがごろ寝をしながらだろうが、ハタマタ酔っ払おうが裸だろうが一向に差支えがない。しかもチャンネル数が多く、選択肢が豊富である。加えてビデオデッキの登場で、観たい番組は録画しておけばいつでも見ることが出来ると、まさに至れり尽くせりである。

 

このように書くと、あたかもテレビが良い事尽くめのようだ。確かに「テレビ受像機」というハードは便利なものであり、偉大な発明だということに一点の疑いもないが、そのことと「テレビ番組の質」とは、話の次元が異なる。よく言われることだが、最近のテレビ番組の質の低下は、まことにもって酷いといわざるを得ない。

 

そもそも歴史を辿れば、テレビがこれだけ流行したのは日本の大衆を骨抜きにしようとした、アメリカ占領軍の3S政策」(ScreenSportsSexだという意見もあったが、その俗説が本当だとしたらこの狙いは見事に当たった、と言うべきである。

 

巧い具合にテレビの普及するタイミングにおいて、プロ野球では長嶋、王の「ONコンビ」というスーパースターが活躍を始めた時期に重なった。「ON」そのものの魅力は勿論あったろうが、その「ON」の大活躍もテレビという文明の利器があればこそ、あれだけ大衆の心を掴んだのだともいえるし、また裏を返せばあれだけの稀代のスーパースターが登場したからこそ、テレビの大普及に貢献できたという見方もできる。

 

これは「巨人・大鵬・卵焼き」と言われた大相撲も同様で、またそれに先んじては街頭テレビで人々を熱狂させたという力道山の勇姿が、敗戦で落ち込んでいた日本人を元気付けた(実際の力道山はK国人だが、当時は表向き「日本人」という事になっていた)という、下地があった。

 

これこそ「Sports」と「Sreen」の相乗効果であり、また残る「Sex」はといえば製作力の貧困を糊塗すべく、安易な裸やSexシーンの羅列に血道を上げるしか芸のない安手のドラマなどを見れば「3S」による白痴化政策がモノの見事に浸透し、従順な羊の如き視聴者の洗脳に寄与したことは明らかである。

 

かくいうワタクシは、テレビは殆ど観ない。例外的に見るのはスポーツや格闘技の中継、NHKの音楽放送(Classicのみ)、或いは歴史や寺社、芸術関係のものしか観ず、それらも最近は殆ど観なくなった。そんな事情だから、昨今の民放のバラエティ番組やドラマなどは観たためしがないので、実は「くだらない」と断定する資格はまったくないのだが、大昔に暇潰しで観ていた頃ですら

 

「こんなテレビなんかを毎日見ているヤツは、脳みそが殆どないんじゃないか?」

 

と呆れたくらいで、現在はさらに酷い末期状態の惨状を呈しているに違いない。

 

先に触れたように、映画と違って便利さがテレビの魅力ではあるが、裏を返せばその分、視聴者が横着になっているという側面は否定できない。映画の場合は、高い入場料を払ってわざわざ見に行かなければならないのだから、何を観るかそれなりに吟味した上で「目的意識」を持って観に行くハズである。これに対してテレビの視聴はタダ同然の上に、ごろ寝をしていても次々に移り変わる画面を眺めているだけだから、そこには多くの場合「目的意識」が欠如している。

「なんとなくテレビを見ている」状態で、特に食事時などはそうではないか(テレビが付いてないと、食事が出来ない等)

 

このように漫然と画面を眺めているうちに、白痴化の洗脳を受け続けて神経が鈍磨してしまい、ドンドンと低俗の極みへと流されていってしまうのである。 実際、子供はともかくとして、大の大人が観るに耐える番組がどれほどあることかと疑わしく思っていたが、そのテレビも映画同様に半世紀を迎えたところで、いよいよ「斜陽」を迎えている。

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