※「ロッシーニの料理」より引用
大食漢
国家統一前のイタリアでは、地方ごとに独自の文化が花開いていた。とりわけユニークなのが紀元前のギリシャ植民都市に起源を持つナポリで、ローマ帝
国、ビザンチン帝国、ノルマン人の支配を経て、12世紀以降も神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン家、フランスのアンジュー家、スペインのアラゴン家など外国支配が続いた結果、ローマ以北と異なる文化が形成され、言語も独自のナポリ語が使われていた。
そうした独自性は食にも及び、ナポリではトマトやオリーブがいち早く食材とされ、19世紀にはスパゲッティやマカロニが主食になっていた。
ロッシーニがナポリを拠点にしたのは、1815年から22年までの8年間。その間に彼が考案したとされる料理が、ナスを卵で巻き、チーズとトマトソースをかけて焼くオムレツである。作り方を紹介しておこう。
Omelette con melanzane e tartufi alla Rossini
中くらいのナス2個の皮を剥いて賽の目切りし、バターで5分間炒め、塩、胡椒する。生卵8個分に軽く塩を振り、オムレツ用のフライパンに油をひき、オムレツを2枚焼く。ただし片面だけ焼くこと。オムレツの焼かない面の中心に先に調理したナスを載せ、ロール状に巻く。
このオムレツ・ロールをグラタン皿に入れ、パルメザンチーズを振ってトマトソースをかける。竈で10分間焼いたら、仕上げに表面を薄切りトリュフで覆う。
この料理に関する逸話も記しておこう。南イタリアでは「炭焼き党(カルボネリーア)」と呼ばれる政治結社が活動し、1820年ナポリで立憲革命を 起こした。この革命が外国の干渉で頓挫すると、同調者と思われたロッシーニは逮捕を恐れ、馬車で逃亡を図った。
途中、近衛兵の追跡に気付いたロッシーニは国境を越えて事なきを得たが、実はナポリ王が彼を追わせたのは「ナスとトリュフのオムレツ」のレシピを得るためだったというのだ。
現代の料理書『銀の匙のノートI quaderni del cucchiaio d’argento』(ミラノ、1979年)に書かれたこの話、真偽のほどは不明である。
ナポリ時代の活動を通じてロッシーニは大きな富を手にした。スタンダールは、1819年11月2日付の手紙に巷の噂をこう記している。
「ロッシーニはケチで、4年前には一文無しだったのに、最近10万フランをバルバイアの銀行に年利7.5パーセントで預けたそうだ」
肥満し始めたのもこの頃からで、スタンダールはロッシーニが「食人鬼のように食べ」「オペラ座のヌリ(有名なテノール歌手アドルフ・ヌリ)みたいに太っている」と書いた(1820年7月 12日付の書簡)。
美食学
ロッシーニは7年間に及ぶナポリでの活動に終止符を打つと、1822~23年にウィーン・パリ・ロンドンを訪問し、大歓迎を受けた。
30歳にして名実ともに世界最高のオペラ作曲家となった彼は、ヨーロッパの最先端をゆくパリに活動の場を移すことにした(フランス政府との契約は、1824年11月26日 に結ばれた)。
新国王シャルル10世の戴冠を祝う喜歌劇《ランスへの旅》(1825年)で、颯爽(さっそう)と登場したロッシーニ。時を同じくして、パリでは空前 のグルメ・ブームが巻き起こる。そしてこのブームを通じて、美味追求が芸術や学問と同質の文化的営みと理解された。美食学(ガストロノミー、gastronomie)の誕生である。
ブリア=サヴァランの『美味礼賛』(原題『味覚の生理学』1826年)出版に象徴されるグルメ・ブーム。その只中に身をおくロッシーニは、オペラ座のために年1作の歌劇を作曲する傍ら「パリ随一の食通」の名声を得る。そのきっかけとなったのが、天才料理人カレームとの出会いである。
フランス料理を芸術の域に高めた天才、それがアントナン・カレーム(Antonin Carême、1784~1833)である。子沢山の貧乏な家庭に生まれ、無学のまま 9歳で路上に置き去りにされた彼は、安食堂の見習いから身を起こし、料理人として頭角を現した。やがて食通の外務大臣タレイランに評価されて王宮の厨房を任されると、各国の王侯貴族と外交官を美食でもてなし、これを籠絡する政治的役割をも担った。
そして皇太子時代のイギリス国王ジョージ4世、ロシア皇帝アレクサンドル1世、パリの名門ロートシルト家[ロスチャイルド]のシェフを歴任し「諸王の料理人、料理人の王」と呼ばれる栄誉を得たのだった。
独学で建築学も学んだ彼は、菓子で作った円柱やトロフィーでテーブルを飾り、その食卓演出は全ての美食家を唸らせたと言われる。
ロッシーニは、ロートシルト家の調理場を頻繁に訪ね、天才シェフと美食談義を楽しんだ。後にカレームは『回想録』(未完、1833年)の中で、天才作曲家ロッシーニから受けた厚遇に感謝し、アメリカ旅行が話題になったロッシーニが
「行ってもいいよ、カレームが一緒ならね」
と言ってくれた、と誇らしげに 記している。
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