少ない給料よりは、沢山の給料がもらえる方が嬉しいのは当たり前であり、誰しもそうだろう。金が沢山あればそれだけ贅沢が出来るし、贅沢まではいかなくとも暮らしが楽になり、気持ちにもゆとりが出来るのは間違いない。
が、これはプライオリティから言えば二番目、三番目以下であり、最も重要なのは何度も繰り返すように「自己実現」(self-realization、self-actualization)である。そして、ここで言う自己実現とは、ごくシンプルに「自己の素質や能力などを発展させ、より完全な自己を実現してゆくこと」に尽きる。その結果が、高収入に繋がるのであれば言う事はないが、それが伴わない高収入では意味がない。大事なのは、あくまで「自分の目指す方向性にマッチしているか」であるから、いくら単価が良くても方向性が著しくずれた仕事などは、受けるわけがないのだ。
例えば「3K」と呼ばれるような仕事に従事すると、普通の会社勤めに比べ遥かに高給を手に出来るらしい。ごみ収集の仕事では年収1000万近くを稼げるというし、給食おばさんも1日4時間労働で実働年間180日と半分以上が休みなのに、800~900万もの高収入を稼げるそうな(余談だが、東京都町田市の給食一食辺りのコストは929円で、うち780円が人件費に相当するため「子供たちは人件費を食わされている」と言われた)。また「みどりのオバサン」と称される学童擁護員などは、東京都江東区の例では「月給67万、年収800万超」などという、とんでもないデータも存在している。
恐ろしいことに、これらは単なる噂ではなく区会議員などによる調査結果だから、信憑性は高いのである。さらに、この仕事は「朝・夕で実働2時間半」で、中には年収1千万を超えている者すらいたというから驚くしかない。そして当然ながら、これも給食オバサン同様、週休2日で夏休みが40日もある。実働「180d×2.5h」を時給に換算すれば、実に2万円を超す。これらの数字がいかに常識外れであるかは、実際に真面目に働いて給料を稼いでいる人であれば、解りすぎて憤りすら感じるハズである。
一流企業の年収1千万プレーヤーといえば、大手商社や金融業(銀行・証券など)などが真っ先に思い浮かぶが、どれも毎日早朝から深夜まで独楽鼠のように目まぐるしく動き回っているのが実情だ。かつて、銀行マンから聞いた話では
「『銀行は夕方3時には窓口が閉まるから、楽なのに高収入でいいですね』などとよく言われるが、とんでもない。窓口が閉まったら仕事が終わりというわけじゃなく、夜遅くなるのは当たり前だし、管理職なんかは(終電がなくなり)タクシーで帰るなんてのも珍しくない。あれじゃあ年収1千万だとしても、全然割りが合わないよ」
と言っていたが、それでも年収1千万を超えてくるのはメガバンクなど大手の一握りのみで、地銀辺りでは夢のまた夢である。
一方の商社マンなどは、世界中を飛び回って残業100時間超えなどは当たり前な世界であり、年収1500万としても時給に換算すれば精々4000円程度だ。フリーのエンジニアでも、一流ならこのくらいは軽く稼ぐ。このように、一般の会社勤めで1000万近くを稼ぐとなると、一流上場企業でも40過ぎくらいにならなければ難しいことからすれば、前回の例に見た地方公務員のそれは「異常」ともいえる高待遇なのである。
勿論、一流の商社マンや金融マンともなれば、高学歴に始まりあらゆる分野で能力やスキルも段違いな人々であり、前記のお気楽な地方公務員なんぞとは真珠と砂利くらいの差異があるのだ。そう考えるなら、前記の地方公務員はなんの技術も要らないだろうに、いかに優遇され過ぎているかがわかる。
もっとも、給食オバサンやみどりのオバサンは論外だが、ごみ収集の仕事であれば機械に巻き込まれて指を切ったり、車に轢かれそうになったり爆発などの危険と背中合わせだろうし、ゴミの匂いも体に染み付いてしまって簡単には取れないだろう。そもそも「3K」と呼ばれる仕事をやりたがる人があまりいないだろうから、必然的に需要と供給のバランスや危険手当等の要素が絡み、こうした破格の設定になっているとも言える。し尿処理施設とか、火葬場の勤務もしかりである。
中には「そのような人が嫌がる仕事は、自分が進んでやるのだ」という奇特な信念を持つ人もいるのかもしれないが、例えばリストラの憂き目にあったものの大した技術も能力もなく、不承不承にこうした仕事に従事しているような人も、少なくないかもしれない。確かに、自分がそのような仕事はしたくないが、誰かがやってくれないと絶対に困るのがこうした3Kの仕事なのであり、それだからこその「特別待遇」といえる。
もっとも、先に挙げたような特別待遇は、あくまでも「一部の地方公務員」の例で、同じ職業でも民間企業の会社員の場合は、ビックリするほどの「低収入」なのである。
例)
・ごみ収集・・・公務950万/民間400~600万
・給食調理員・・・公務800万/民間350万
・学校用務員・・・公務930万/民間330万
・公用車運転手・・・公務1100万/ 民間300万(タクシー運転手)
・バス運転手・・・公務800万/450万
・地下鉄運転士・・・公務700万/民間600万
この読み物の趣旨は、公務員の不当に高い給料を羨んだり糾弾しようというものでは、まったくない。大事なのはあくまでも「自己実現」であって、誰が濡れ手に粟で儲けようが、それは自己実現とは無関係な話なのだ。だからワタクシなら、例え年収1000万だろうが「ごみ収集」は断じてやらない。それは「ごみ収集」という仕事が、自分の考える方向性とあまりにも懸け離れているためである。
ありえない設定だが、例えば「大手商社で年収2000万の商社マン」に採用されたとしても、これも絶対にやらない。理由は同じく、自分の考えている方向性とまったく違うからでもあり、また自分が「年収2000万の商社マン」の働きが出来るとは思わないからだ。
では「大手企業役員で、座っているだけで年収3000万」だったら、どうか?
これは上の二つに比べれば、かなり心が動きそうだ。商社マンのように特に技能は必要ないし、3Kよりは楽そうである。だが結局、これも受けないだろう。なぜなら、技術者としての達成感がないからだ(これだけの収入があれば、それを元に起業すればいいだろうといった設定は、ここでは除外する)
拝金主義が蔓延る世にあっては、金儲けが目的で自己実現が手段に摩り替っている例も少なくないようだが、他人の生き方はともかく自らが自己実現を通じて「良い生き方」ができれば、それに越した事はないと思う。
「良い生き方」といっても「これが最高の生き方だ」というモデルはないから、あくまで「自分がイメージする良い生き方」ということになるが、それは「自らの描いたキャリアプランに、どれだけ近づけるか」に尽きる。
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