仕事人間というには程遠く人一倍の怠け者だけに、正直なところでは仕事よりも趣味の方を充実させるのが、自分の考える「良い生き方」だと思っているが、それでも仕事をせずに生きていけるわけはないし、人生の中で最も長い時間を費やすのであれば、やはり「良い生き方」をするために仕事の充実は欠かせないだろう。それが「仕事の方向性」に拘る理由であり、「少しでも高い報酬が欲しいは本音ではあるが、あくまで
それはプライオリティから言えば二番目、三番目以下であり、最も重要なのは何度も繰り返すように「自己実現」(self-realization、self-actualization)」に繋がるのである。
言うまでもなく、需要と供給のバランスの上に成り立っているのが世の中であり、また仕事と言うものである。採用する企業の方は、常に現実の業務遂行に必要とする以上に、より高い能力を持った人材を要求するものだ。現実として「5」のレベルの仕事を「5」の実力しか持たない者に任せるような事は、まずない。「5」のレベルの仕事を任せるためには、最低でも「6」、通常は「7」か「8」まで要求する事も珍しくはない。この傾向は大手になればなるほど顕著であり、さらに要求のハードルが高くなって来る。
ITの世界では「なるべくなら関わりたくない業種」と言われるものがある。それは「医療」、「航空」、「金融」などで、どれもヘタをすると人命に関わるものだ。
また、官庁システムや金融や鉄道などのオンライン系、或いは携帯など通信キャリアも基本的には24×365止められないのが前提のシステムなので、止めたりしたら天文学的な損害を与えてしまうという大変な仕事だ。それは、損害の算出も出来ないくらいの途方もない大トラブルであり、単に一企業のみに止まらず下手をすれば国家的な損害にも繋がると言っても決してオーバーではない。そんなクリティカルなシステムだから、実際の業務遂行には「5」程度のスキルがあれば良いにしても、安心のためには「7」や「8」くらいのハイスキルが要求されるのである。
一方、技術者の立場としては、「5」のレベルの技術者が「5」の仕事をやっていては刺激も向上もなく、つまらないのは確かだ。だから「5」のレベルの技術者なら「6」や「7」のレベルの仕事を要求する。実際に与えられるのは「4」か、下手をすれば「3」以下の仕事が精々だから、なおさら求める傾向は強くなる。正味で「5」のレベルの技術者が、スキルシートや面接の場で「5」だと言っていては、運が良くて「4」程度、下手をすると「3」以下の仕事しか来ないから「5」の実態を「6」にも「7」にも膨らませて、それ相応の仕事を要求するのが技術者のプライドであり、また当然のテクニックともいえる。
とはいえ、あまりに大風呂敷を広げ過ぎても大抵はばれてしまうから、余程厚かましくない限りは一、二段のレベル上げが精々だ。あまり自らに下駄を履かせてみたところで、巧く騙し果せて入ったところで要件を満たす事は出来ないから、所詮は長く続くわけはない。この辺りが難しい駆け引きであり、大抵はクライアント企業の誘導に乗せられ、中途半端なところで妥協してしまうのである。
その結果が、実際に来る仕事は「4」や「5」となり、結果としてそれなりに辻褄があって来るというのが、現実的な実態ではないかと思われる。とはいえ実際の仕事選択の場面では、金儲け第一でレベル落ちのつまらない仕事でもギャラが良ければ受ける技術者もいるし、冒険嫌いの小心者などは好んでレベル落ちの仕事ばかりを選び、大過なく無難に過ぎ行く日常に満足して、終わってしまっているかも知れない。それはそれでその人その人の生き方だから、どれが良いとか悪いとか言うものではないと思う。
中には多少無理をしてでも、また金銭的に満足出来なくとも、あくまで内容重視で未知の分野に果敢にチャレンジを続け、(場合によっては早々にNGを出されたり)を繰り返している技術者も少なくはない。言うまでもなく、自分などは後者の典型である。殊に家庭を持たない自分などは、常に自分の事だけを考えていればいいわけだから、技術の向上と充実感だけを念頭において、こうした活動を出来る身軽さがあるのが強みだ。
(これまでやって来た範囲内で、ほぼ100%対応出来てしまうような仕事をやっていては、進歩も達成感もないではないか・・・)
という拘りが強かった。これまでも、職場が変わる時は「常に前の現場よりは、技術的に向上出来る環境」を求めて来たのである(むろん、結果として総てがそうなっているかは、また別次元の問題である)
現場の環境の中で、これまでに経験した事のないことがどれだけ経験できるか、それこそが譲れない必須条件なのであり、仮に上手く対応出来ずに直ぐにNGを出されようとも、それはそれで修行だと思っている。
特に自分の場合は、若い頃は趣味を兼ねたマスコミ業界で一人気ままにやってきたから、真面目に働いてきた人との差は広がる一方だったのが偽らざる現実であり、そのようなことは百も承知なのである。かといって、今から過去を遡ってやり直すわけにも行かないのだから、過ぎた事を考えたり悩んでみても何も生まれない。そのような時間があるなら、考えるべきは「今後の行き方を、いかに充実させていくか」に尽きる。そのため自らの描く「良い生き方」をしっかりイメージして、キャリアプランの実現に向けて歩んでいかなければ、次のような顛末になってしまいかねない。
《神様はロバに30歳の寿命を与えようとしましたが、ロバは荷役に苦しむ生涯の長いのを嫌がったので、神様は18年分短くすることを約束しました。次いで、犬もサルも30歳を長すぎると言って辛がるので、神様はそれぞれ12歳と10歳分だけ短くしました。
そこに人間がやって来ました。人間が30歳の寿命が短いというので、神様はロバ、犬、サルから取った年齢分の18年、12年、10年の合計を人間に与えたので、人間の寿命は70歳になりました。人間はそれでも不満げに退いたのですが、それ以来人間は30年の人間の生涯を楽しんだ後、あとの18年は重荷に苦しむロバの人生を送り、続く12年は噛み付こうにも歯の抜けてしまった老犬の生活をし、後の10年は子供じみたサルの年を送ることになりました・・・》
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