ヘリオスは、ティタン神の一人「ヒュペリオン」の子どもで「月のセレネ」、「曙のエオス」と三人兄妹になる。
ホメロスでは、太陽だから当たり前だが世界を巡る大洋オケアノスの流れの東より出て、天空を横切って再びオケアノスの西に沈むとされている。
彼は四頭立ての馬車を御して「曙エオス」に先導されて東に出て、天空を駆けて西に沈み、黄金の杯に乗ってオケアノスの流れを再び東へとかえっていくとされた。
ヘリオスは12神に入ってはいないが、ロドス島だけは例外的に彼を主神にしており、それについては神々がその支配の土地を分配した時、ヘリオスの分が忘れられてしまい、それに対してヘリオスは今度生まれる島を自分のものとしたいと言って認められ、ロドス島が出現したため、ここがヘリオスのものとされた。
彼にまつわる神話としては「パエトンの神話」が知られている。
すなわちヘリオスに落とし子があり、その子がパエトンといって、やがて長じて自分が太陽神ヘリオスの子であることが母に告げられて、父を求めて旅して父ヘリオスに再会したという。
喜んだヘリオスは、何でも希望を叶えてやろうと言ったところ「太陽の馬車」を走らせたいと願い、びっくりしたヘリオスがどう諭してもだめで、結局馬車を貸さざるを得なくなる。
喜んだパエトンは馬車に乗るが、太陽神ヘリオスしか御すことができない馬車であったからパエトンに御すことができるわけもなく、太陽の馬車は軌道を外れて上に下へと暴走し、そのため地上ばかりか天界までその火にために危ういことになる。
やむなくゼウスは雷を落とし、パエトンを「エリダヌス河」へと墜落させていったというもの。
このヘリオスの子どもとして有名なのが『オデュッセイア』に登場する「魔女キルケ」で、オデュッセウスの部下たちが偵察にこの島を巡っていた時、彼女に遭遇し歓待の食事ということで、その食べ物を食べたところ皆豚に変わってしまった。
一人食事をしなかったため、その難を免れた部下から報告を聞いたオデュッセウスが乗り込み、神ヘルメスにもらっていた薬草によって魔法を破り、部下を元通りにした上で彼女と一年の間同棲していたというもの。
このキルケの妹が、アルゴー船伝説の「コルキス王アイエテス」と、クレタ島での牛頭人身の怪物「ミノタウロス」を生むことになるパシパエで、また姪に当たるのがアイエテスの娘で、エウリピデスの悲劇『メデイア』で知られるメデイアとなる。
ヘーリオス(古希: Ἥλιος
, Hēlios)は、ギリシア神話の太陽神である。
その名は、ギリシア語で「太陽」を意味する一般名詞と同一である。
象徴となる聖鳥は雄鶏。
太陽は天空を翔けるヘーリオス神の4頭立て馬車であると、古代ギリシア人は信じていた。
日本語では、長母音を省略してヘリオスとも表記する。
紀元前4世紀頃から、ヘーリオスはアポローンと同一視(習合)されるようになった。
これは、アポローンに光明神としての性質があったためと考えられる。
同様に、アポローンの双子の姉であるアルテミスは、ヘーリオスの妹で月の女神であるセレーネーと同一視されるようになった。
ヘーシオドスの『神統記』によれば、ヒュペリーオーンとテイアーの息子である。
曙の女神エーオースや月の女神セレーネーは姉妹。
また魔女のキルケーやヘーリアデス(太陽神の5人の娘たち)、パエトーンの父親でもある。
アポローンが乗る太陽の車を、青空の牧場に駆る御者とも考えられた。
オリュムポスからみて、東の地の果てに宮殿を持つ。
盲目になったオーリーオーンの目を治療した。
また、常に空にあって地上の全てを見ているため、アプロディーテーのアレースとの浮気をヘーパイストスに密告したのも、ハーデースがペルセポネーを誘拐した際にゼウスが加担したことをデーメーテールに教えたのも、ヘーリオスとヘカテーである。
ヘーリオスは、アプロディーテーとアレースの不義をヘーパイストスに言いつけた。
アプロディーテーはこの仕打ちを許すことができず、ペルシア王オルカモスの娘である美女レウコトエーにヘーリオスの目を釘付けにさせ、彼女を荒々しく抱かせる。
ヘーリオスの寵愛を受けていたニュムペーのクリュティエーは、これを見過ごせずオルカモスにレウコトエーが男と密通している旨を告げ、父王の手で彼女を裁かせる。
ヘーリオスはその罪により、砂に埋められたレウコトエーの死体にネクタールを降り注ぎ、彼女の姿を乳香の木に変え天界へ誘う。
一方、クリュティエーは、ヘーリオスからもはや振り向いてはもらえず、太陽を見ながら悲しみ泣き暮らすうちに死んでしまう。
そして彼女は一輪の花になり、いつも愛しい人の方を向いているのである。
クリュティエーの変じた花は、ヒマワリやヘリオトロープ、あるいはキンセンカであるとも言われている。
概して絵画や文学のモチーフとしてはヒマワリとされることが多いが、ヒマワリやヘリオトロープはアメリカ大陸の原産であり、この神話の成立時期にはヨーロッパでは知られていなかった。
※Wikipedia引用
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