ギリシャ神話・思想・悲劇などに興味を持つ人にとってこの「プロメテウスの神話」というのは非常に興味深く、また一般にもかなり知られている神話の一つとなる。
内容は「人間に火を与えた」というもので、人間の科学技術についてのエッセイなどでもよく引用されてくる。
「人間界への火のもたらし、それに伴う罰としての鷲に肝臓を喰われる話」以外にも「悪と災厄の女族の形成、パンドラの神話」、「人間の五つの時代の物語」、中東の「ノアの方舟」と酷似する物語「デウカリオンの神話」などに関係している。
プロメテウスというのは、クロノス達「ティタン神族」の一員であった。
したがって、ゼウスたち「オリュンポス神族」に先立つ神々の一人であり、ゼウスたちとは敵対関係にある筈であった。
しかし、プロメテウスの神格というのが「先に思慮する、先見の明を持つ」というものであったため、おそらく彼はティタン神族とオリュンポス神族との戦いにおいてティタン神族の負けが見え、そのため彼は戦いに加わらなかったのだろう。
そのおかげで、彼は「オリュンポス神族の支配」となった時も追放されずにすんだ。
その経緯について、神話作家ヘシオドスは何も語っていないが、後に劇作家アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』では、プロメテウスは母であるテミスの忠告に従い、仲間であるクロノスたちに様々の助言をしたのだけれど受け入れられず、そのため結局ゼウス側につくことになったのだと語っている。
この彼が「人間に火を与えた」という話は、ヘシオドスによると神々と人間とが争っていた時(これは後の話しから食料問題であったとなるが、この物語ではどうも人間も神々もたいして地位が隔たっているわけではないようで、そのため争いになっている)、プロメテウスが調停に入ることとなり、彼は食料である牛を屠って人間の前には肉と臓物とを汚らしい胃袋に包んで置き、神々の前には骨を艶やかできれいな脂肪にくるんで置いたという。
その美・醜の差を見て、ゼウスは随分と不公平な分け方ではないかと言ったけれど、プロメテウスはゼウスに向かって、どちらでも貴方のお好きな方をお取りくださいと言ったという。
それでゼウスは、やっぱりきれいな方をということで「艶やかできれいな脂肪でくるまれた方」を選んだ。
ところが中身を見ると骨なのでゼウスは激怒して、この企みは決して忘れないとして、人間から何もかも取り上げてしまったという。
ただ、これでは「ゼウスは騙された」ということになってしまうと思ったせいか、ヘシオドスは「この時ゼウスは、全てを承知していたけれど」などと付言している。
しかし、これはやっぱり騙されたのでなければ、後の話に繋がらない。
困ってしまったのが人間で、丸裸なのでこのままでは滅亡してしまう。
そこでプロメテウスは一計を案じ、一本のウイキョウを手にして天に昇り、天にあった火をそのウイキョウの芯に移してしまう。
ウイキョウの芯は柔らかくて燃えることができるが、ウイキョウの外側は湿っていて火は外側に燃え広がらず、そのため中に火が燃えていることが見えない。
こうして、プロメテウスは天上の火を盗み出してしまい、人間に授けてしまう。
おかげで人間はその火をもって暖をとり、肉を焼き野獣を追い払って生き延びていくことができることとなった。
しかし、地上にあるはずのない火が地上に燃えているのを見つけたゼウスは烈火のように怒り、再び人類に災いをたくらむ一方、プロメテウスを火泥棒の罪でとっつかまえて岩山にくくりつけ、日ごとに鷲にその肝臓を喰らわすという罰を与えてきた。
プロメテウスは神だから死なないけれど、しかし人間と同様に激痛はある。
一日経つと、また肝臓は再生しているので、プロメテウスは毎日肝臓を喰われる激痛に耐えなければならなくなってしまったわけである。
しかし、プロメテウスは「先なる思慮、先見の明」という名前を持つ神であるから、この先のことも見通していて、やがてゼウスが謝って来なければならないことを知っていた。
そうなることで、彼は天上界にあって一目置かれる存在となるというわけであった。
それはプロメテウスしか見通していない秘密があって、それはゼウスの運命に関わってくることだったのである。
その秘密とは、ゼウスが恋している女神テティスの持つ運命であり、彼女が生む子どもは父親を凌駕するというものだった。
したがって例によって女狂いのゼウスが、このテティスを襲って子どもでもつくろうものなら、ゼウスはやがてテティスから生まれる子どもによって、主神の座を追われかねないというわけであった。
ほどなくゼウスは、このプロメテウスが自分の運命に関わる秘密を知っているらしいということに気がつき、プロメテウスを釈放することになる。
こうして物語はテティスへと移り、それが「トロイ戦争物語」の発端になっていくのであった。
このプロメテウスの神話は、神と人間との関係を良く物語ることになる。
つまりこの神話は一見すると、神々に対する供義が骨を焼いて煙りを天上に届けるという形になっていることの「説明神話」のような形態をとっているが、ヘシオドスの筆致は、むしろ人間が被らなければならなくなった苦難を語る方に向かっていくからである。
それを語るのが「パンドラの神話」と呼ばれるものとなる。
※http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html 引用
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