2017/08/27

パンドラの神話(ギリシャ神話11)



 さて、ゼウスはプロメテウスを岩山にくくりつけると同時に、人間に対する災いを企み、制作の神ヘパイストスに命じて土と水とをこねて不死なる女神に形を似せ、美しい姿を作らせる。

次いで、これに人間の声と力とを入れ込み、さらにこの美しく作り上げられた姿に技芸の女神アテネが女としての術知である機織りの技を教え、またさらに美の女神アフロディテが優美と何人をもとろかす恋の心を入れて磨き上げていったという。

そして出来上がった姿に、今度は欺きと口達者の神ヘルメスが欺瞞の心を植え付け、その他の神々も見た目はいいが裏では災いとなるあらゆるものを次ぎから次ぎに入れ込んでいったという。

こうして、あらゆるものを贈られたものという意味で、これはパンドラ(パンとは「全て」、ドロンは「贈り物」の意)と呼ばれることになった。

こうしてゼウスは、彼女を人間界に送り出していく。

そしてこのパンドラから女の種族が生まれるようになったのだ、とヘシオドスは語ってくる。

 一方、捕らえられる前に人間界にいたプロメテウスは、当然ゼウスが何かを企んでくることを察知していて、自分が捕まる前に弟である「エピメテウス(エピとは「後になって」、メテウスとは「分かる・思慮する」の意で、要するに「後にならなきゃ分からない」というわけ)」にゼウスからの贈り物は決して受け取らないようにと注意しておいた。

ところがエピメテウスは、ゼウスから贈られたこのパンドラを見て目がくらみ、兄プロメテウスの忠告などころりと忘れ、大喜びでこのパンドラを受け入れてしまう。

 それからが大変で、パンドラのおかげで家の財産は食い潰されるは、あらゆる事柄において騙されるはで、えらいことになってしまう。

また、このパンドラから得られた子どもというのは、グウタラで働きもせず反抗してくるばかりであった。

こうした事態が嫌だと一人でいれば、なるほど財産は残るけれど死んでしまう運命に、その財産は他人に持って行かれてしまう、というわけでパンドラ(女の種族)の受け入れ以来、男どもは何をどうしても上手くいかないというハメになってしまったという。

 ここまでが、ヘシオドスの『神統記』の物語となる。

他方、同じヘシオドスの『仕事と日々』ではさらに話しは続き、このパンドラは好奇心旺盛で「決して開けてはならない」とされていた瓶に興味を持って、ついにこれを開けてしまった、となる。


ところが、この瓶は病気や災害などあらゆる災難・災厄を封じ込めていたものだったので、それらの災害・災厄が一斉に外に飛び出し、世界中に広がってしまった

おかげで、これまで人類は病気や災害知らずであったのに、それからはありとあらゆる病気・災害・災厄・労苦に苦しめられるようになってしまったという。

 ただ一つ、希望だけがグズグズしていて外に飛び出し損ね、慌てて閉められた瓶の中に残されたという。

この「希望」の意味について、ヘシオドスは何も言ってないが、外に飛び出していれば災いとなったのだけれど、幸い封じ込まれているので災いにはなっていないと理解できる。

これは要するに虚しい願望と未来への希望の差なのであって、飛び出していればこれは虚しい願望としてしか働かなかったのに、閉じこめられたおかげで未来への希望として働いている、というわけであろう。

実際、我々の持つ希望は、実態は虚しい願望に過ぎないのに、それを人類は明るい希望にしてしまい、これがあるから人類は生きていけるわけである。

 この希望の話し集約されているように、ヘシオドスにおいては人類はどうも情けない存在になっているようである。

つまりこの神話は、人類はゼウスの報復によってあらゆる災難を被る存在にされてしまったということを語っており、また、人間が苦労しなければならなくなった所以を語っているわけである。

それが女の種族によるとしているところがヘシオドスのユニークなところであるが、ここにヘシオドスの個人的体験があるのかどうかは判然とはしない。

 ここでは、とにかく人間の運命に注目しておくべきだろう。

初期には人間も、神々と変わらず平穏に生きていたようである。

それが食を必要とするということから神々との離反が生じ、弱い存在となったが天上的な火を持つことで存続はできるようになったけれど、あらゆる苦難を背負い込むものになってしまったというわけである。

この人間の運命について、ヘシオドスはさらに続けて人間の世代の移り変わりとして物語ってくる。
※ http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html 引用

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