2017/08/04

『古事記傳』16-3 神代十四之巻【大山津見神詛(トコヒ)の段】

口語訳:天津日高日子番能邇邇藝能命は、笠紗の御崎で一人の美人に出会った。「あなたはどなたの娘さんですか」と尋ねると、

「大山津見の神の娘ですわ。名前は神阿多都比賣、または木花之佐久夜毘賣と申します」と答えた。

 

「あなたにはご兄弟がありますか?」

「姉に石長比賣という者がおりますけど」

「ぜひあなたと結婚したいと思いますが、どうでしょうか?」

「私一人ではお答えできませんわ。でも父、大山津見の神がご返事するでしょう。」

 

そこで彼は、その父大山津見神に使いをやって、結婚を請わせた。大山津見の神はたいへん喜んで、彼女の姉の石長比賣と共に、たくさんの引き出物を持たせて、嫁入りをさせた。ところが石長比賣は非常に醜い女性だったので、顔を見ただけでぞっとしてしまい、娶らずに返して、妹の木花之佐久夜毘賣だけを留め、一夜交合した。

 

大山津見の神は、石長比賣を返されたことを大いに恥じて、次のように申し送った。

 

「私が娘二人を共に送った意図は、石長比賣をお使いになれば、天神の御子の命は、雨が降ろうと風が吹こうとゆらぐことのない岩のように、がっしりと末永く続け。また木花之佐久夜毘賣をお使いになれば、木の花が美しく咲くように、世が華やかに栄えよ、という意味でした。ところがこのようにあなたが石長比賣を返し、木花之佐久夜毘賣だけを留められたからには、天神の御子の命は、木の花が咲いている間だけの、はかないものと決まってしまいました」。

 

そのため、今に至るまで、天皇たちの命は、長くないのである。

 

○木花之佐久夜毘賣(このはなのさくやびめ)。前に大山津見神の娘で木花知流比賣(このはなちるひめ)という名も出ていた。「木花(このはな)」は、字の通りの意味である。「佐久夜」は「開光映(さきはや)」の「きは」を縮めて「か」となるのを、音を通わせて「く」と言う。【「若子(わかご)」を「わくご」と言うのと同じ。】「光映(はえ)」を「はや」と言うのは、前に出た下照比賣の歌に「阿那陀麻波夜(あなだまはや)」とある「波夜」と同じである。【このことは、伝十三の七十葉で詳しく述べた。】

 

こうして、すべての木の花のうちでも、桜こそ最も美しいので、特にその名に「開光映」の意味を負い、「さくら」と言うのである。「や」と「ら」は横に通う音である。【幼い子供が、まだ舌も良く回らないうちは、「らりるれろ」を「やいゆえよ」と発音するので、「さくら」も「さくや」などと言う。これは、おのずから通う音だからである。とすると、この名も「庭つ鳥かけ」とか「野つ鳥きぎし」と言うのと同じで、「さくや」は「さくら」の意味にも取れるけれども、前に出た「木花知流比賣」の名との対照で、「さくや」はやはり「咲くや」の意味であろう。これが桜の意味だったら、次に「如2木花之榮1」とか「木花之阿摩比」とあるところでも、直接に「如2佐久夜之榮1」、「佐久夜之阿摩比」と書けば良さそうなものだが、そうでないのは、この「さくや」が花の名ではないからだろう。】

 

だからこの御名も、どの花というわけでもなく、木の花が咲き誇っている状態を、たぶん桜の花を念頭に置いてそう言ったのだろう。少し後には「木の花」と言うだけで、即ち桜のことを言った例もある。古今集の序の歌に「難波津に咲くや木の花」というのは、これである。【これも何の花ということなく、ただ木の花と解することもできるが、そうではない。梅の花と言う人もあるが、根拠はない。それは「冬ごもり今は春べと」という言葉を誤解して、当て推量で言った説である。それなのに、その説に依拠して、ここの御名の「木花」まで梅のことだという説は、なおさら大きな間違いである。】

 

また万葉巻八【二十丁】、藤原朝臣廣嗣の「櫻花を娘子に贈る歌」(1456)に「此花乃云々」、その返歌(1457)にも同じく「此花乃云々」とあり、これは贈る花を【その字の通りに】「此の花」と言ったのだが、桜を木の花と言って、その意味を兼ねたように聞こえる。さらに後には、ただ「花」と言えば桜を意味するようになった。【それも自然に上代の意にかなっている。】

 

この箇所は、書紀では「到2於吾田長屋笠狹之碕1矣。・・・故皇孫就而留住。時彼國有2美人1。名曰2鹿葦津姫1。亦名神吾田津姫。亦名木花之開耶姫。皇孫問2此美人1曰。汝誰之女子耶。對曰。妾是天神娶2大山祇神1所生兒也(アタのナガヤのカササのみさきにいたりましき。・・・かれミマのミコトそこにとどまりましき。ときにそのクニにかおよきオトメあり。ナはカアシツヒメという。またのなはカムアタツヒメ。またのなはコノハナノサクヤヒメ。ミマのミコト、このオトメにといたまわく、『イマシはタがムスメぞ』。こたえていわく、『アレはアマツカミ、オオヤマツミのカミにみあいしてうめるこなり』)」とある。【「その国に美人あり」と言うだけでは、その後で「皇孫はこの美人に尋ねた」と言うのが唐突に思える。どういう機会に尋ねたのか。また「天神が大山祇神を娶って」というのは、訳が分からない。「女」の字が脱けたのだろう。もしそうなら、この伝えでは、(木花之佐久夜毘賣は娘でなく)大山津見神の外孫ということになる。】

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