2017/08/24

ピタゴラス(4) 魂の哲学


ピュタゴラスにおける「魂の哲学―音楽と数の神秘―」
 医術についで、さらに独特なのが「音楽」なのでした。

これは、魂の浄めのためです。

しかし、これだけなら生活法の一つということでの了解となり、彼の学園は美しい音楽が流れ、バランスのとれた野菜の料理が出、節度ある人々が行き交うという、なかなか素敵な学園が頭に思い浮かべられて終わりになってしまうのですが、問題はここからでした。

つまり、音楽はただ奏でられるだけのもので終わっていなかったのです。

 すなわち、音楽とは「ハルモニア(ハーモニー)」ですが、これは「数の比」にほかならないことを発見したことが、その始まりです。

つまり、音楽の基本であるオクターブ(下のドから上のド)は2:1の比になっていること(分かりやすくいえば、弦の長さが2:1ということ)、5度音程(ドからソ)は3:2の比、4度音程(ドからファ)は4:3の比となっています。

つまり、完全和音の音程は1、2、3、4という、4つの数の比になっていることを発見したのです。

なんと、魂を浄化するものの正体とは「数及びその比」であった、というわけです。

 こうして、「1、2、3、4」という数は「基本の数」ということになり、しかも、この足した数は10になります。

こうして、「10は完全数」ということになり、これはテトラテュクス(「4つ組数」とでも訳すしかない)と呼ばれ、ピュタゴラス教団のシンボルとなります。

そして、これは一つの点を一番上に置き、その下に二つの点、その下に三つの点、その下に四つの点をおいてみますと「正三角形」の形になりますので、シンボルとして「形化」することもできました。

 ようするに、音楽はその内部に一つの秩序を持っていたわけで、それは数的な秩序であったわけです。

音楽が数的秩序であったということになりますと、これは宇宙そのものの本性ではなかろうか、ということになっていきます。

つまり、宇宙は数的な秩序のもとにあるコスモスです。

コスモスというのは、ギリシャ語で「天空・宇宙」ということですが、同時に「調和・秩序」および、そこにみられる「美そのもの」です。

宇宙は秩序づけられた全体であり、我々は「小さな宇宙」です。

ですから、身体も調和していなければならないのです。

 そこで、有名な話なのですが、ピュタゴラスにあっては「天は音楽を奏でている」ということになります。

後でピュタゴラスの天体論を紹介しますが、星々がはりついている天球が10個あり、それが重なって天の中心の火を巡って動き、その動きは音を生み、それは連なって一つの音楽となっているのです。

宇宙はコスモスとして調和していますから、その音楽は素晴らしいものの筈なのですが、私たちは肉の汚れ、日常の慣れによって聞くことができません。

しかし魂を浄化したなら聴けるだろう、ということになります。

 そうはいっても、この音楽の数の比から、いきなり宇宙の原理は飛躍しすぎているのではないか、と思うかも知れません。

しかし、音楽は魂を浄化するものでした。

これは多分、始めは経験的なものだったでしょう。

ここからやがて、その音楽に秘密を発見したのだと思います。

それが、数の比でした。

魂を浄化するのは数の比だった、というわけです。

ということは、魂の故郷である神の世界、ないし生命そのものである宇宙も数だということになっても、そう飛躍ということはありません。

宇宙は一つの生命体で、この存在世界はその宇宙の展開だとするギリシャ的世界観を知っていれば、容易に理解できることです。

こうした世界観はタレスたちにもあったことは、すでに述べておきました。

これは実にギリシャ的なのであって「」と「肉体」を分けて「二つの世界」としたなどと紹介されるプラトンも、またアリストテレスにあっても同様で、彼にあっては一寸の虫にも全宇宙が宿っている、ということになるのです。

存在世界に次元の違いがある、なんて考えはキリスト教が一般的になってからの話で、近代もこのキリスト教的世界観の系譜にありますのでギリシャ的世界観になじみがないだけです。
※ http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html 引用

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