2017/09/01

『古事記傳』16-4.神代十四之巻【木花佐久夜毘賣御子産の段】

口語訳:後日、木花之佐久夜毘賣が天孫のもとにやって来て

「私が妊娠した子は、もう生まれるときが来ましたわ。けれど天神の子ですから、自分勝手に生むわけには行きません、それで、そのことをお知らせに来ました」

と言った。

 

すると(邇々藝の命は)

「おい、佐久夜毘賣、ただ一度夜を共にしただけで妊娠したというのか。それは私の子ではないだろう。きっとそこらへんに住む(野卑な)国つ神の子に違いない」

と言った。

 

そこで佐久夜毘賣は

「もし国つ神の子だったら、無事に生むことはできないでしょう。天神の子だったら、無事に生まれます」

と言うと、戸のない大きな産屋を立てて、その中に入り、粘土で隙間を塗り固め、子が生まれようとするまさにその時に火を放って、その中で生んだ。その火が盛んに燃えるときに生まれた子の名は火照命<これは隼人の阿多の君の先祖である>

次に生まれた子の名は、火須勢理命。次に生まれた子の名は火遠理命、またの名は天津日高日子穗穗手見命という。<全部で三柱である。>

 

○佐久夜毘賣(さくやびめ)とは、その名を呼ぶことで嘲りの意を表したのである。

<口語訳:天孫は答えて

 

『私は初めから、彼らが私の子だと分かっていた。しかしたった一晩で妊娠したのを疑う人もあろうかと考え、人々にこの子たちは私の子であることも、また天神の子は一晩で妊娠させることもあることも分からせようとして・・・先日は、あのようにあざ笑ったのだ』と言った。>」

 

というのも一つの伝えではあるが、この記ではそうでない。本当に天孫自身が疑ったと解釈すべきである。書紀の雄略の巻(元年三月)に

「童女君(おみなぎみ)は、もと采女であった。天皇は一夜彼女を召して、ついに一人の女子を産んだ。天皇は疑って、その子を養わなかった。・・・物部の目の大連

『この乙女は、体も心も清くして、お召しに応じたのです。どうしてお疑いなさるのです。私は、妊娠しやすい女性は、男性の下帯に触れただけでも妊娠すると聞いています。ましてその夜は一晩中かわいがっていたわけですから、簡単に疑うことではありませんよ。』

と言った。

 

天皇は大連に命じて、その女の子を皇女とし、母(童女君)も妃とした。」とある。

 

○以火著其殿は、「そのとのにひをつけて」と読む。【師が「火」をいつも「ほ」と読んでいたのは、古語に対して偏った考え方をしていたからだ。】それは、外に出る道を塗り塞いで、中で火を付けたのである。

 

書紀には「鹿葦津姫は恨みに思って、無戸室(うつむろ)を作って中に入り、誓(うけ)いをたてて『私の孕んだ子が天孫の御子でなかったら、焼け死んでしまうでしょう。けれど本当に天孫の御子だったら、火も焼け滅ぼすことはできないでしょう。』こう言って火を室に放った。」とある。

 

また一書(第二)に「もし私の孕んだ子が他の神の子だったら、無事に生まれることはないでしょう。本当に天孫の御子だったら、必ず無事に生まれるでしょう。云々」とある。

 

他の一書(第五)には「一夜で孕み、ついに四人の子を生んだ。そこで吾田鹿葦津姫は、その子を抱いてやってきて『この子たちは天神の御子ですから、私が自分勝手に育てるわけには行きません。それで現状をお知らせに参ったのです。』と言った。云々」とある。

 

○其火盛燒時。「盛燒」は「まさかりにもゆる」と読む。火が燃えている真っ最中というような意味である。書紀に「顧眄之間、これを『みるまさかりに』と読む」とある。【「間」の字が「まさかり」に相当する。】また「方産(みさかりにこうむとき)」ともある。【「ま」と「み」は同じ。万葉巻七(1283)に「壮子時(みさかりに)」とある。】これらのような意味である。とするとここでは、御子が生まれた時間全体にわたって言っており、火折命が生まれたときまでを含めている。【火照命が生まれたときだけを言うわけではない。ところが書紀には「始めて火が燃えたとき、その煙の中から生まれて・・・次に熱を避けていたときに生まれ出て云々」とある。

 

あるいは一書(第二)で「焔が初めて起こったとき・・・次に火の盛んに燃えるとき云々」、また(一書第五)「その火が初めて明るく燃えだしたとき・・・次に火の盛んに燃えるとき・・・次に火の熱が衰えたとき云々」と、一柱ごとに生まれたときの火の状態を分けて書いているのを考えると、この記で火照命が生まれたときの火の様子だけを言い、続く二柱の時には、火がどういう状態だったか書いていないのは、文が不足である。脱落したかとも思われるだろうが、よく考えればそうではない。この記では書紀のように分けて書かず、三柱すべてに言っているのであって「盛(まさかり)」というのは、火が起こるときと衰えるときに対して、最も盛んなときと言う意味ではない。書紀の「盛」とは違う。この字を根拠にして考え、思い違わないように注意せよ。】このように広く言ったのだが、もちろんその火には初めに燃え上がったとき、中頃の最も勢いが盛んなとき、後の衰えるときがあるわけだから、書紀はその状況を詳しく書いたというだけのことである。

 

○火照命。「ほでりのミコト」と読む。「ほのてる」と読むのは良くない。【この三兄弟の名は、みなただ「ほ~」と読む。「ほの~」と「の」を添えてはいけない。この記では、「ほの」と「の」を添えた名では「火之夜藝速男(ひのやぎはやお)」、「火之カガ(炫)毘古(ひのかがびこ)」、「火之迦具土(ひのかぐつち)」など、すべて「火之」と「之」の字が付いている。また「照」の字も「てる」でなく「てり」であることは、次の火須勢理命の理(り)の読みから明らかである。】

 

この名は、初めに火が燃え上がって、明るく照り輝くときに生まれたための名である。書紀の一書(第三)に「初め火焔が明るく輝いたときに生んだ子は火明(ほあかり)命」。他の一書(第五)に「その火が初めて明るく燃えだしたとき、地を踏み鳴らし、雄叫びを上げて炎の中から出て来た子は、自分で『私は天神の御子、名は火明命』と名乗った。」とある御子で「照」と「明」は同じ意味である。【書紀にはすべて「火明命」とあって、「火照命」という伝えがないのは、かの天忍穂耳命の子で、尾張の連の祖である天火明命と混同したのである。だから書紀第九段の本文では、火明命(第三子)を尾張の連の祖だと書いている。これは、混乱の上にも混乱したのである。この名は、この記に火照命とあるのこそ正しいだろう。】

0 件のコメント:

コメントを投稿