2017/09/20

五時代説話(ギリシャ神話14)


※http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html引用
 人間の種族とその時代について、ヘシオドスは「人類というのは、始めから現在の人間のようなものであったわけではない」と語りはじめる。

 始めの人間の種族は「黄金の種族」と呼ばれていたと、ヘシオドスはいう。

ヘシオドスは、この人間の種族はオリュンポスの神々が作ったと語り、次いで、この人々はクロノスの治世に生きていたと語る。

ただし、これは神々の系譜から言えば辻褄が合わない。

なぜなら、クロノスはオリュンポスの神々の前の時代の神だからである。

しかし「クロノスの時代」というのは、神話では「太古の昔」といったニュアンスの言葉の定型句のようなものなので、こういった矛盾には眼をつぶっていていい。

 さて、この黄金の種族は神々と変わる事なく、何の憂いもなく、災難にもあわず、老齢になることも体が衰えることもなく、あらゆる良きものに恵まれていたという。

ただし人間だから死ぬことはあり、この種族は静かに眠るように死んでいったとされる。

しかし、死んで後も彼等は善き精霊として、人間の守護霊となったという。

従って、この時代の人間は「神々と、そんなに離れていない」ということになりそうで、要するに「昔は良かった」という感情のヘシオドスなりの表現であると理解される。

 黄金の種族の時代は終わり、次いでオリュンポスの神々が作り出したのは「白銀の種族」であったという。

この種族は先の種族にはるかに劣り、100年もの間幼児のままで、やっと成長して大人になっても互いに傲慢で、また神々を敬うこともせず、結局自分の無思慮の故に短い生涯を終えた、と言われる。

これは主神ゼウスが彼らの有り様を怒り、滅ぼしたからだという。

子どもっぽく、自分勝手だったというわけであろう。

それゆえ敬神の心も無かったというわけである。

ただし、(どういうわけか)この種族も地下にあって「至福なる人間」とされている。

赤ん坊のように無邪気なだけだったからということなのか良く分からないが、釈然とはしない。

 さらにゼウスは、第三の種族を作り出したという。

これは「青銅の種族」と呼ばれ、心もかたくなで力ばかり強靭で凄惨な争いと暴力沙汰に明け暮れていたという。

そのため彼等は互いに殺し合って、名も残す事なく地下の冥界へと下っていったと言われる。

要するに、彼らはただ争うだけの種族であったというわけであろう。

 こうしてまた、ゼウスは第四の種族を作ったという。

今度は先の者達より数段優れ、一層正しい者達であったという。

彼等は「英雄」とも「半神」とも呼ばれる種族であった。

しかし彼等も、あるいは「テバイの城の攻防」で、あるいは「トロイの平原」で死闘の末に滅んでいったと言われる。

この種族は、要するにミケーネ時代の「テバイ戦争」および「トロイ攻め」の時代の人間で、ギリシャ人にとっては栄光の先史時代であった。

したがってヘシオドスは、死後この者達は人の世からは遠く離れた至福者の島にあって、何の憂いもなく暮らしていると語っている。

 それから後には、とヘシオドスは絶望的に語る。

この時代だけは「生きたくはない」と呻いている。

その前に死んでいるか、あるいはこの「第五の種族」の後に生まれるべきであった、この現在の人間は最低最悪であると嘆いている。

この時代は「鉄の種族」と呼ばれるが、夜も昼も苦悩に満ち、身内にも信がなく、友情もなく、神を虞れることもなく、正義もない。

あるのは悪事を働く心と暴力、善人を傷つけ、それを繕う妬みの心と憎しみばかりであるとヘシオドスは語る。

廉恥の女神も義憤の女神も呆れて人間を見捨てている。

こうして人間界には苦悩のみ残り、災難を防ぐ術もないというわけである。

いうまでもなくヘシオドスの生きていた時代を語っているのだが、先の「パンドラの説話」といいこの「五時代説話」といい、ヘシオドスの絶望的な人生が垣間見られる。

 この五つの時代は、最期がヘシオドスの「現代(鉄器時代)」になっていて、その前がミケーネの「英雄時代」で、その前が「青銅器」時代なので時代的にあっているが、別にここでヘシオドスは歴史的経緯を描いているわけではない。

また、下降史観を描いているわけでもない(英雄時代は、前の青銅時代より優れている)。

彼にとっての問題は、現代が如何にダメかということに尽きていて、人間はこうした現状をよく見極め反省し、正義を取り戻さなければならない、とヘシオドスの筆は続くのであった。

 なお、冒頭で「神々も人間も同じ根源から生まれ出た」と語っているのだが、一見すると「オリュンポスの神々が人間を造った」として語り出す物語と辻褄が合わないようにも見える。

しかしそういうわけではなく、神も人間も本来は同じ自然のものなのだけれど、ただ人間としての定めで神のような具合にはいかないという話なのであり、従って、五つの時代の人間を作ったというのも、別のものを作ったわけではなく、子どもを作った類いと解しておけば辻褄は合う。

そして、人間は親から離反するように神から離反している、とヘシオドスは言いたいわけである。

 そんな関係を語ってくるのが先のプロメテウスの話の続きで、それはヘシオドスではなく後代のアポロドロスに伝えられているものだが、プロメテウスの子どもとしてデウカリオンがいたとなる。

この「デウカリオン」にまつわって、ある意味で有名な話しが伝えられてくる。

デウカリオンの神話
 プロメテウスの子どものデウカリオンは、エピメテウスとパンドラの子どもであるピュラを妻にしていたが、ゼウスが青銅の時代(先のヘシオドスによる三番目の種族)の人類に愛想を尽くし、その人々を滅ぼそうとして大雨を降らせ、洪水を起こして地上を水で覆ってしまったという。

その時デウカリオンは、父プロメテウスの忠告に従って一つの「方舟」を作っていて、妻のピュラ共々そこに避難していたという。

そしてデウカリオンの乗った船は九日間水の上を漂い、一つの山に流れ着いた。

雨が上がったのでデウカリオンたちは船を出て、ゼウスに犠牲を捧げて感謝する。

そうした敬虔なるデウカリオンを認めたゼウスは、彼らの望みを叶えてやろうと約束し、そこでデウカリオンは人間を再生させたいと願ったところ、ゼウスは石を拾って頭越しに投げるが良い、といってくる。

そこでデウカリオンがそうしたところ、デウカリオンの投げたものからは男が、ピュラの投げたものからは女が生じてきたという。

 他方、デウカリオンは、ピュラからヘレンという子どもを始めとして何人かの子どもを生んでいくけれど、このヘレンこそがギリシャ人の元祖となるとされる。

我々は「ギリシャ人」と呼んでいるけれど、これは本名ではなく、本名は「ヘラス」である。

これは現代でも変わらず、ギリシャの本名は「ヘラスないしエラス」となる。

 さて、このデウカリオンの神話は「ノアの方舟」の話とそっくりだが、ここでのデウカリオンの神話で大事なのは、驕慢な人類が一度滅ぼされ、ここでデウカリオン達によって再生させられていることで、こうした人間の神ならぬあり方がとりわけ強調されていると思われる。

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