2017/09/09

中華思想(2)


 中国が宇宙の中心であり、その文化・思想が神聖なものであると自負する考え方で、漢民族が古くから持ち続けている文化的優越主義思想である。
 
本来「中華」とは『世界の中心』、「中国」とは『世界の中心の国』いう意味を持ち、政治的概念の国家を表すものではなく「自分たちは世界(もしくは宇宙)の中心にいる」といった優越的・自己中心的な中華思想そのものを意味する言葉だった。

 中華思想を表す代表的な言葉として、

「天下、天土に非ざるものなし」

というものがある。

 これは現代語で言えば「見えるところ全てが中国の領土である」という意味であり、そのため中国神話の一つ『嫦娥奔月』という一人の女性が月に昇って暮らしたという伝説を利用し「月も中国の固有領土だ」と主張する者までいるという。

 このような考え方は自体は異なるが、世界的・古代文明にして見ても存在しており、西洋ではキリスト教を中心としたローマ帝国(ローマ共和国)的世界国家的な考え方になったり、イスラム教でも存在している。

仏教の場合は「鎮護(永遠に安定)」という考え方に沿って世界征服するという事をすれば可能かも知れない。

 歴史として見れば、神代中国(夏帝国)(推定B.C27001600)の時代から基本的思想は変わっていないとされる。

特徴
自国が世界の中心と根本設定してみる。

この辺りは無神論、無架空現実主義の共産主義においてはかなり修正されたと思われるが、根本的に色々と問題がある。

中国の周りには、東西南北に渡り劣った存在があるとしていた。

自国が世界の中心で、中国で起こった事は『全世界の出来事』と見る。

紙の上の地図的な世界観を本気で設定していた。

中国の権力者(皇帝など)は、全世界の頂点の君主という事に自動的になる

中国の権力者は外国をもてなし、貢物よりお土産の方が多いことが当然。
  http://dic.pixiv.net/ 引用

チャイナ語には、本来「神話」という概念はない。

神という概念はあったが、実のところ歴史時代の前に神話時代があったという世界観ではない。

むしろ、人と神と仙人とが混然としたカオスをなしている、と言った方がよく、この辺りが日本神話やギリシャ神話などとの大きな違いである。

そこで、以下でそのカオスについて概観してみよう。

●儒教の神話(天地開闢)
最初は混沌とした世界である。

やがて清んだ陽気が天となり、濁った陰気が地となった。

ここに盤古という巨大な神が生まれ、吐息から風、涙から雨、またその遺体から山岳や草木等が生まれたという。

●三皇五帝
盤古の死と共に世界の創造はおおよそ終わり「三皇五帝」という神、もしくは聖なる君主が世界を治め、かつ創造を完了する。

まずは「三皇」が、次々に現れる。

伏羲:蛇身人首の神。家畜の飼育や漁撈などを教える
女媧:蛇身人首の神。伏羲の妹とされ、人類を泥から作った(あるいは産んだ)
神農:人身牛首の神。伏羲の子孫で農耕や医薬などの発明者とされる

三皇にも女媧に代えて祝融を入れる等諸説あるが、概ね人間離れした姿で神と認識されていた。

だが伏羲や神農が陳の街に都を置いて王に即位したり、後述する黄帝と戦った伝承があったり、既に人間の王との区別が曖昧である。

次に現れた五帝は、最初の王とも呼ばれる黄帝や善政の代名詞とされる堯舜など、もはやほぼ完全に人間の王となってしまう。

史家・司馬遷によれば、黄帝はチャイナ文化と文明の源泉の象徴である(アン・ビレル『中国の神話』)。

黄帝は炎を操る弟の炎帝を水の武器で征服し、金属武器を発明した戦神である蚩尤を、娘である女魃による旱魃の力で打ち負かした。

黄帝は数多くの戦いに勝ったが、侵略には何の喜びも見出さない偉大な英雄とされた(同書)。

もまた理想的な帝であったが、その子には帝としての器量が足りないことを危惧し、冷酷な継母に対し良く孝行していたことで評判の高いを登用した。  

舜は堯の命を受け、教育を任されれば世に孝行を広め、官庁を任されれば綱紀を正し、ついに認められて帝となった。

五帝の最後、もしくは五帝の次に王となったのがである。

禹は世界的な大洪水を治め、大地を汚染していた怪獣・相柳を殺した英雄である。

禹はその息子に王位を伝え、ここから最初の王朝「」が生まれたという(アン・ビレル、同書)。

三皇五帝以外の知られている神話の英雄には、弓の名手・羿がいる。

かつては太陽が十個もあり、交互に昇って大地を照らしていた。

しかしある日、十個の太陽が同時に昇り、作物も人間も焼けてしまった。

羿はこの危機にその弓で九個の太陽を射落とし、人類を救ったという。

羿は、後に妻の嫦娥に西王母から授かった不死の薬を盗まれてしまい、嫦娥は月に逃れてカエルになったとも、再生を司る月の女神になったともいう(アン・ビレル、『中国の神話』)。

これらの物語は、儒教成立以前から伝えられてきたもので『楚辞』、『淮南子』等にまとめられている。

また神と人との区別の曖昧さについては、当時の神話を文字に書き記した人々、すなわち孔子を始めとした春秋時代諸子百家の思想家たちの合理主義に原因を求める意見もある。

彼らは自説を例証する材料として、神秘的な神話を人間たちの歴史的故事に書き換えたというのだ(伊藤清司『中国の神話・伝説』他)。
※参考【ピクシブ百科事典】

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