2017/09/29

孔子(1) 仁と礼



『仁(人間愛)と礼(規範)に基づく理想社会の実現』(論語)
孔子は、それまでのシャーマニズムのような原始儒教(ただし「儒教」という呼称の成立は後世)を体系化し、一つの道徳・思想に昇華させた(白川静説)。その根本義は「」であり、仁が様々な場面において貫徹されることにより、道徳が保たれると説いた。しかし、その根底にはチャイナ伝統の祖先崇拝があるため、儒教は仁という人道の側面と礼という家父長制を軸とする身分制度の双方を持つにいたった

孔子は、自らの思想を国政の場で実践することを望んだが、ほとんどその機会に恵まれなかった。孔子は優れた能力と魅力を持ちながら、世の乱れの原因を社会や国際関係における構造やシステムの変化ではなく個々の権力者の資質に求めたために、現実的な政治感覚や社会性の欠如を招いたとする見方がある。孔子の唱える、体制への批判を主とする意見は、支配者が交代する度に聞き入れられなくなり、晩年はその都度失望して支配者の元を去ることを繰り返した。それどころか、孔子の思想通り、最愛の弟子の顔回は赤貧を貫いて死に、理解者である弟子の子路は謀反の際に主君を守って惨殺され、すっかり失望した孔子は不遇の末路を迎えた。
※Wikipedia引用

 今でこそ「聖人君子のサンプル」として尊崇される孔子だが、生前は苦労に苦労を重ねながらも恵まれず、薄幸な人生を歩み続けた。あくまでも想像だが、類稀な天才でありながら「生真面目で完璧過ぎる」ために敬遠されたか、その長い生涯で一度も日の目を見ることなく、忸怩たる思いをかみしめ続けながら悲惨な一生を生きぬいたのである。

 春秋時代の学者。思想家。儒家の祖。名は丘(きゅう)。字は仲尼(ちゅうじ)。魯の国昌平郷掫邑(山東省曲阜)に生まれた。尭、文王、武王、周公らを尊崇し、古来の思想を大成、仁を理想の道徳とし、孝悌と忠恕とを以って理想を達成する根底とした。魯に一時仕えたが容れられず、諸国を歴遊して治国の道を説くこと三十年、用いられることなく、時世の非なるを見て教育に専念。その面目は言行録(論語)にみられる。後世、至聖文宣王と称された。(前551~479)
以上 広辞苑より一部抜粋

孔子は今から約2,500年前に生きた人、仏陀(釈迦)、ソクラテスとほぼ同時代の人でした。生まれた年は前551年と前552年の二説があり、亡くなったのは前479年4月11日、当時としてはきわめて長寿の73歳(前後)と伝えられています。孔子は当時の魯の国の下級武士の次男として生まれました。魯の国は、現在の山東省曲阜(きょくふ)にありました。

孔子の生きた時代のチャイナは、春秋時代と呼ばれ封建的な体制が一般的であり、王朝(周)や諸侯、武士階級が力を争う下克上の時代でした。孔子は若い頃は貧しくて様々な職業を経験したと言われています。孔子には少なくとも二人(男、女)の子供がいました。娘が嫁いだ相手は、孔子も信頼できる弟子の一人(公冶長、こうやちょう)でした。長男(孔鯉、こうり)は、孔子の下で弟子と同様の(特別扱いしない)指導を受けたことが伝わっていますが、孔子より先に亡くなり、孔子(晩年)が葬儀(重厚にする余裕はなくて、質素なもの)をおこないました(孔子は葬礼については、最も大切なのは形ではなく、その悼(いた)む真心であると言っています)。

孔子は、当時としては長生きをしました。そのためもあって、初期の主だった弟子は孔子より先に亡くなりました。孔子は悲しいときは素直に悲しみ、泣きたい時には泣いています。特に互いに親子のように接していたといわれる弟子の顔淵(顔回)の亡くなった時には、孔子(晩年)はその死を惜しみ「天が私を滅ぼした」と繰り返しました。孔子は「回は(理想に)近い」と言っていました。

 したがって、自分の後を託そうとする人(弟子)に先に死なれてしまったと言えるのです。またこのときの孔子は、その死を心から哀しみ慟哭(どうこく)しました。人が「(いつもの先生らしくなく)慟哭されていました」と話すのを聞くと、孔子は「このような人の為に慟哭するのでなかったら、誰のためにするのか(今泣かないでいつ誰のために泣くのか)」と言っています。孔子は一時期に魯の国に仕えたが、その後の生涯のほとんどを真の教育者(人の生きる道、仁等を説く人)として過ごしたとみられています。

孔子が残した言葉や行いは、孔子の生きた時代(封建君主制)を反映するものであり、その時代においては最適と思われる言動を用いて道を説いたのです。したがって、そのまますべてを現代に適用するのは無理があるでしょう。孔子の言葉は、その弟子の持つ性質に応じて説かれたものも多く、すべての人にそのまま当てはまるとは言えない面も持っています。また、語り継がれた時点で多くの人々(弟子、孫弟子等)の言葉の関与も否定出来ません。さらには、後の人々によって様々な解釈、論説がされたこともあり孔子の言葉や思想が、ある程度の誤解を受けたり、歪曲され非難の対象とさえなったこともあるのです。しかし、孔子の言葉や思想の奥にある真実(真理)は、現代にも色あせるようなことはありません。

孔子の言葉や思想は、その核心を示す(人を慈しむ心、慈愛、慈悲)を知ることによってその本質を知ることが出来ます。孔子は、何より大切なその一つのことを生涯貫いた努力の人であったのです。それは仁に通じる心、忠恕(ちゅうじょ)と表現されます。忠恕とは、真心からの(忠)、人への優しい思いやり(恕)を言い表します。それこそが、孔子の言葉や思想の根底に常にあるものなのです。弟子の子貢が「ただ一字で終生行うべきものはありますか」と聞いたとき、孔子は「それは恕である。自分の望まないことを、人に行ってはいけない(己の欲せざるところ人に施すことなかれ)」と答えています。 

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