2017/09/21

老子(2) 無為自然



老子の根幹の思想である無為自然とは、自然との融合を目指すという意味は持たず「あるがままに暮らすべきだ」との思想。

一部の偏った解釈では、これは政治思想であり、以下に述べるように「人民は無知のまま生かしておくのが最も幸せである」とする思想との解釈もある。
 

不尚賢 使民不爭 (賢者を尊びさえしなければ、民を争いあわせることもない)
不貴難得之貨 使民不爲盜 (得がたい財貨に価値を与えなければ、民に盗みをさせることもない)
不見可欲 使心不亂 (欲しくなるかもしれない物も、見なければ心は乱れない)
是以聖人之治 (だから聖人の政治の下では)
虚其心 實其腹 (民は、空虚な意識しかなくとも腹は満腹で)
弱其志 強其骨 (心は弱くとも骨肉は頑強である)
常使民無知無欲 (常に民には何も知らせず、そして何も欲させるな)
使夫知者不敢爲也 (知識人は、政治に活用するのではなく何もさせるな)
爲無爲 則無不治 (『何もしないこと』をすれば、必ず天は治まる)(道徳経3章)


また老子に於いては、儒教的価値の批判ないし相対的視点の提示を試みている。

たとえば、以下にあげるように仁義智慧孝行慈悲忠誠素直さは、現実にはそれらがあまりに少ないからもてはやされるのであって、大道の存在する理想的な世界おいては必要のない概念であると述べる。
 

大道廢 有仁義 (偉大な「道」が廃れて、はじめて仁義が現れる)
智慧出 有大僞 (智慧がとりざたされる時には、大いなる欺瞞がある)
六親不和 有孝慈 (父、母、叔父、伯父、叔母、伯母の六親の仲が悪いときに限って孝行や慈悲がもてはやされる)
國家昏亂 有貞臣 (国家が混乱し(皇帝の意見に雷同する臣下がはびこっ)ている時に限って、率直に皇帝を諫める貞臣が認識されるようになる)(道徳経18章)


「飢饉というものは、年のめぐり合わせによる異常気象で発生する自然現象である。しかし民衆の生活を破壊する飢饉は、君主が自分の消費のために税収の目減りを我慢できず、飢饉でみんなが困っている時に税をさらに重くして、なお余計に奪い取ろうとする《食税》から発生するのである。これが民の飢饉の惨害の本当の原因なのだ(人之饑也 以其取食税之多 是以饑)」(帛書『老子・乙本』第七十七章)


「天の振る舞いに於いては、何か不足すれば余っているところから補われて全体のバランスが保たれる。ところが人間の制度は、そうではない。欠乏している人民から高い税を取り上げて、すでにあり余って満ち足りている君主に差し上げる。どこかの君主がそのあり余る財力で、天下万民のために何かをしてくれるとしたら、それこそ有道の君主と評価できるのにねえ(天之道 損有餘而益不足 人之道則不然 損不足以奉有餘 孰能有餘以取奉於天者 唯有道者乎)」(第七十九章)


「強大な覇権国家の君主は、自分の言いなりに搾取できる家畜のような人間の数を増やしたいから、他国を侵略するのだ。弱小国家の君主は、せめて我が身、我が国を尊重してくれるならばと超大国に屈従して、身売りの算段をしているだけだ。結局、戦争とか平和というものは君主たちの意地の張り合いだけで、民衆のことなんか何も思ってやしないんだから、まあ勝手にしたらよかろう(大國者不過欲并畜人 小國者不過欲人事人 夫皆得其欲)」(第六十一章) 


「道義によって君主を補佐するならば、軍事力の強大さによって天下の人々を従わせようとはしないことだ。そうすれば天下の人々は、きっと道義をもって応じてくれよう。軍事的な圧力をかけると、周囲に茨が生えたように反抗する勢力も起きてくるようになり、戦争は結局、進めば進むほど自分も傷ついていく茨の道だということがわかるようになる(以道佐人主 不以兵強於天下 其事好還 師之所處 荊棘生之)」(第三十章)


「戦争がうまい将軍は、感情に左右されない。兵法がうまくて、いつも最善の勝利を確実にできる将軍は、戦争そのものをしない。人を使うことに巧みな人は、何ごとも謙遜してへりくだった姿勢をとる。これが何事も争わない《不争之徳》というものであり、人々の力を用いるコツであり、天道に配慮した方策で聖人君子の政治理念である(善戰者不怒 善勝敵者弗與 善用人者爲之下 是謂不爭之徳 是謂用人 是謂配天 古之極也)」(第七十章)


「聖人はいつも私心を持つことがなく、民全体の心を自らの心と(して、政治の決断を)する。(聖人恒無心 以百姓之心為心)」(第四十九章)


「災禍の原因は仮想敵国となるライバルがなくなり、油断しきってしまうことが最も大きい。強力なライバルがいなくなったら、本来活用すべき人材、提案、発明、万物を生かす知恵など、君主が宝とすべきものが時代にそぐわない無用の長物として排斥されて、回復できなくなってしまう(禍莫大於無敵 無敵斤亡吾寳矣)」(第七十一章)


「知らないことを知ることは進歩であり、その積み重ねは立派なことだ。反対に、何も知らないくせに、知ったかぶりしているというのは虚栄であり、精神の病理に由来する(知不知 尚矣 不知知 病矣)」(第七十三章)


「魚介類をたくさん水揚げしたからといって、集めておいても長く保存できるものではない。すぐ腐ってしまう。宮殿の部屋いっぱいに金器・玉器の宝物が並んでいても、それが代々にわたって受け継がれたという例はない。他の諸侯や盗賊が、宝物を目当てに奪い取りに来るからだ。すでに地位も高く、十分に財産もできたというのに驕りたかぶって、さらに欲望の塊になる、そんなことでは自分から墓穴を掘って、晩節を汚すことになろう。世の中で十分にやりたい仕事をしたと思ったら、その後は引退して世の人々の邪魔にならないように、恩返しのために生きるのが天の定めた人生の道というものだ。(湍而群之 不可長保也 金玉盈室 莫能守也 貴富而驕 自遺咎也 功遂身退 天之道也)」(荊門郭店楚簡『老子・甲書』)


「世の中の肩書きと人生は、どっちが大切か。自分の生命を犠牲にするほどの、お金や品物がある者か。物欲を満たすこと、人生に挫折すること、どちらが大問題なのか。人や物事を非常に愛すると、必ず無理をして、たくさんの費用をかけることになる。多くの富を集め過ぎると、必ずその富を奪い取られた人々の怨恨と憎悪も集中する。したがって物事は、ある程度で満足して変な欲を出さないでおけば、滅多に恥辱をうけることはないし、ある程度で見切りをつけて、あえて危険に踏み込まなければ何も心配することはない。だから長く安定を維持できるのである(名與身孰親、身與貨孰多 得與亡孰病 甚愛必大費 多藏必厚亡 故知足不辱 知止不殆 可以長久)」(荊門郭店竹簡『老子・甲書』・帛書『老子・乙本』第四十四章) 
※Wikipedia引用

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