2017/09/08

『古事記傳』16-4.神代十四之巻【木花佐久夜毘賣御子産の段】

○火須勢理命(ほすせりのみこと)。これも「ほの」と読むのは良くない。【その理由は上述した。ところが、書紀の訓注に「火闌降、これを『褒能須素里(ほのすそり)』と読む」とあるのは、後世の誤った読みを聞き慣れた人が、さかしらに加えたのだろう。また新撰姓氏録にも「富乃須佐利」とあるが、これもどうかと思う。同書の二見の首の條に「富須洗利(ほすせり)」とあるのこそ正しい。】これは火が盛んに燃えて、勢いを増してくる時に生まれたための名である。

 

書紀の一書には、「次に火が盛んに燃えているときに生んだ子は火進命(ほすすみのみこと)、またの名は火酸芹命」、他の一書に「次に火が盛んに燃えているときに足を踏み鳴らし、雄叫びしながら出て来た子は、『私は天神の子、名は火進命』と名乗った。」とあるので理解すべきである。「須勢理」は【「須素里」、「須佐利」も同言。】「進む」と同じ意味である。

 

万葉巻十七【四十丁】の「越の國の立山の長歌」(4003)に「之良久母能、知邊乎於之和氣、安麻曾々理、多可吉多知夜麻(しらくもの、ちへをおしわけ、あまそそり、たかきたちやま)」とある「あまそそり」も、この山が非常に高く、天に進み登るようであることを言っているのを考えると良い。【俗に、人の心が浮き立ち進むのを「そそる」と言うのも同じである。】これを書紀で「火闌降」と書いた文字は、撰者が意味も分からずに当てたのだろう。

 

【というのは、この神が生まれたのは「初めて煙が立ったとき」とも「火が初めて起こったとき」、あるいは「火焔が盛んなとき」などとあって、「闌降」という文字で表すいわれがない。「闌」は「衰える」あるいは「残る」の意味と注され、一書に「次に火炎が衰えたとき・・・火折(ほおり)命」という「火折」にこそ良く当てはまる。それを火が初めて起こる時点で生まれた子の名に当てたのでは、進み昇るのと衰え下るのと、事が反対になるだろう。】

 

○火遠理命(ほおりのみこと)。これも「ほの」と読んではいけない。これは火勢が衰えたときに生まれたための名で、「火弱(ほよわ)り」の意味である。書紀の一書に「火夜織(ほよおり)命」とあるので分かる。【「ほよ」を縮めると「ほ」となり、「ワ」と「ヲ」が通うことは、「たわやめ-タヲヤメ」、「たわむ-トヲム」、「たわわ-トヲヲ」、「わななく-ヲノノク」などの例がある。ただし「折(ヲリ)」と「織(オリ)」のように、「ヲ」と「オ」が通うのは珍しい。】

 

他の一書には「次に火炎が衰える時に生んだ子が火折彦火々出見尊」、また一書に「次に火炎が衰えるときに、足を踏み鳴らし雄叫びを上げて炎の中から出て来た子は『私は天神の御子、名は火折命』と名乗った。」ともある。この三柱の中で、最後に火が衰えたときに生まれた御子こそが、後に天津日嗣の御子となったのは、どういう理由によるのか分からないが、試みに言っておくと、この三皇子は、父の疑いを晴らすために、炎の中で生まれたわけであり、初めに火が起こったときはまだ疑いが晴れず、火の勢いが最も盛んなときにも、まだ焼けるか焼けないかを見定めることはできなかったのだが、火が衰えるときに至って、母も三柱の子も焼けなかったことが決定し、本当に天神の子だったと明らかになったので、最後に生まれた子が最も貴いということになったのではなかろうか。

 

【かつて伊邪那岐大神が阿波岐原で行った禊ぎのときも、最後に生まれた三柱の御子が特別に貴い神であった。それも次第に黄泉の穢れが除かれて行って、最後に最も清らかな神が生まれたのであることは、ここと共通する。】

 

ホデリ(火照命)は、日本神話の『古事記』に登場する神。山幸彦と海幸彦の説話に登場し、一般には海幸彦(海佐知毘古、うみさちひこ)の名で知られる。隼人の阿多君の祖神とされる。

 

名前の「ホ」は、神話では火の意味としている。「デリ」は「照り」であり、穂が赤く熟すること、または火が赤く照り輝くことを意味する。山幸彦と海幸彦の説話は隼人の服従を語るものであり、ホデリはそのために系譜に入れられたものと考えられている。

 

『日本書紀』本文では、隼人の祖神をホデリではなく火闌降命(ホノスソリノミコト、ホスセリノミコト)としており、第八の一書では『古事記』でのホデリの事績が全て火闌降命の事績として書かれている。また、他の一書ではヒコホノニニギの長子は火酢芹命(ホスセリノミコト)としている。よって、ホデリは『古事記』の編纂者によって創られた神であるとする説が有力となっている。

 

火須勢理命(ほすせりのみこと)は、日本神話に登場する神。この名では『古事記』にのみ登場する。『日本書紀』では、火闌降命(ほすそりのみこと。本文・第八の一書)または火酢芹命(ほすせりのみこと。第二・第三・第六の一書)が登場する。

 

火闌降命は、本文では隼人の祖としており、第八の一書では、『古事記』で火照命の事績とされていることが、火闌降命の事績として書かれている。また、第二・第六の一書では、火酢芹命が長子としている。よって『古事記』における火照命の記述は、本来は火闌降命(火酢芹命)についての伝承であり、『古事記』の編纂者が火照命という神を創作して、火闌降命の事績をそちらに移したものと考えられている。

 

神名は、他の二柱と同様に本来は「穂」に因むものと考えられ、誕生時の説話に因んで「火」の字が宛てられたか、逆に「火」の字が宛てられたことから誕生時の説話が生まれたと考えられる。「スセリ」は須世理姫(すせりひめ)などと同様「進む」という意味で、「ホスセリ」は稲穂の成熟が進むという意味である。

 

火須勢理命は、その誕生の時に名前が登場するだけで、その後は一切出てこない。河合隼雄は、その著書『中空構造日本の深層』において、海幸彦(火照命)と山幸彦(火遠理命)という対称的な神の間にホスセリのように何もしない神を置くことでバランスをとっているとし、同様の中空構造として造化三神における天御中主神、イザナミから産まれた三神における月夜見尊を挙げている。

 

火遠理命(ほおりのみこと)は、日本神話や記紀に登場する人物。別名は彦火火出見尊・日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)、虚空津日高(そらつひこ)。正しくは、天津日高日子穂穂手見命(あまつひこ(たか)ひこほほでみのみこと)と言う。

 

「海幸山幸(うみさちやまさち)」の説話に登場し、一般には山幸彦(やまさちひこ)(山佐知毘古、やまさちびこ)の名で知られる。神武天皇の祖父に当たる人物。

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