2018/02/11

日本人にとって神(カミ)とは(古神道8)


出典 http://www.nippon.com/ja/

宗教といって多くの日本人が思い浮かべるのは「神様」「仏様」だろう。特に「神(カミ)」は、仏教伝来前からの信仰対象だ。

日本では、古代から近代まで神(カミ)はどのように考えられてきたのか。Godを、日本語では「神」と訳し、カミと発音する。これが間違いのもとかもしれない。「God」、「」、「カミ」を別々のものと考えよう。「God」は、一神教の神のこと。世界で一つしかないものだから、英語の習慣で、大文字で書く。小文字で「god」と書くと、あっちこっちにいる多神教の神という意味になってしまう。漢字で神と書くと、チャイナ語の「」の意味になる。精神、神経という場合は、人間の精神現象という意味。神のような存在も表すが、決してランクの高い存在ではない。一番ランクの高いものは「」とか「上帝」とか呼ぶことになっている。

日本古来の「カミ」は、ひとことで言えば自然現象を人格化したもの。『古事記』、『日本書紀』に登場するカミや、神社に祀られるカミはむろんのこと、太陽や月や、風や雨や海や、大きな木や岩や、動植物も人間も並み外れたものはみな「カミ」である。江戸時代の国学者・本居宣長は、このように日本のカミを定義する。彼によると、人間に「あはれ」と感動を与えるものはみな「カミ」なのだ。このように考える日本人にとって、この国土は、豊かな自然に恵まれ、至るところにカミが臨在している「カミの国」である。カミの国を外国語に訳して、狂信的な国粋主義の表現のように誤解されることがあるが、元々の意味はそうしたものではない。

様々な要素が渾然一体となった神道
カミを祀る日本古来の信仰を「神道」という。古代の神道がどのようなものだったか資料がなく、詳しいことは不明である。そもそも神道と呼べるほどの、まとまった実態があったかもわからない。おそらくそれは、様々な要素が混ざったものだったろう。例えば、狩猟採取段階の縄文人が抱いていた自然崇拝の習俗が、底流となった。米作を営むようになった弥生人は、土偶のような土地の生産力の象徴を崇め、朝鮮半島のシャマニズムも受容した。チャイナから伝わった青銅製の武器や鏡は、首長たちの祭具や呪具となった。チャイナ由来の易や天文暦学や神仙思想は、統治者の祭礼や葬礼に反映された。各地の共同体や有力集団はそれぞれの氏神を祀り、神社を建立した。こうした要素が渾然一体となったものが、神道と意識されるようになったのは、仏教が伝えられたのち、人びとが仏教との相違と対抗を意識してからのことである。

仏(ブッダ)との対照から生まれたカミの観念
仏教は、ゴータマ・ブッダ(釈迦=紀元前6世紀または5世紀ごろに生誕)がインドで創始した宗教で、膨大な文字テキストと精緻な理論をそなえている。日本に伝わった仏教は、チャイナを経由しチャイナ化しているので、テキスト(書物)は漢字で書かれた漢訳仏典であり、教団組織や運営はチャイナ流である。日本人は、こうして学んだ仏(ブッダ)と対照して、カミの観念をもつことができた。

仏(ブッダ)とカミを比較すると、以下のように言える。

・ブッダは覚り(さとり)を開いた人間であり、生きている。
・ブッダが死んだときは輪廻を解脱しているので存在しなくなる。
・カミは人間とは異なるが、人間の祖先で、生きていることも死んでいることもある。
・ブッダは男性であり、独身を守る。
・カミは男女があり結婚することがある。
・ブッダは仏像をつくり、寺に安置するが、寺にはいない。
・カミは神像をつくらない。
・神社には依代(よりしろ=カミがやってくる場所となる物)を安置するが、カミは神社にはいない。

仏教や律令制や天文暦法・医薬・建築などのチャイナ由来の高級文化は、統治階級が権力と威信を確実にするためのツールであった。日本に移植された仏教は、神道とどのように棲み分けることとなったか。

ヤマト政権によるカミガミの編成と貴族の仏教帰依
ヤマトの政権は各地に並立する有力集団に対して、アマテラスを祖とする集団(アマ氏)が祭祀権を独占する同盟を樹立したことで成立した。並立する有力集団はそれぞれ、祖と仰ぐ固有のカミをもっていた(たとえば、出雲のオオクニヌシ)。同盟は、これらカミガミが調和的に共存する神話を編成することを通じてなされた。8世紀に『日本書紀』『古事記』がまとめられた。この書物は、カミガミのなかでアマテラスが主神であること、その子孫が天皇であって、祭祀権と統治権を独占的に継承することを述べてある。結果として、天皇の系統以外の有力集団は、祭祀権や統治権から排除されることとなった。

それでもイスラエルの民がヤハウェを唯一のGodとし、他を排斥した一神教を樹立したのと比べると、ヤマトの政権はカミガミを排除せず、アマテラスに従属するそれなりの地位を与えた点に特徴がある。カミガミの共存は、有力集団の共存を意味する。仏の特徴はカミガミと無関係で、アマテラスに従属しないことである。そこで、天皇が祭祀権を独占し、神道が再編されて統治権の根拠とされた状況で、そこから排除された有力集団は、仏教を自由に採用することができた。

各地の有力集団はヤマト地方に集住して、政府の官職や土地(荘園)を世襲し、貴族となった。貴族はおおむね仏教に帰依し、寺院を建て、来世で極楽に往生することを願ったのである。死後、往生して仏になるという考えは、神道と異なる新しい発想であった。一方、貴族や寺社の荘園で働く農民たちには、仏教よりもローカルなカミガミへの伝統的な信仰のほうが身近であった。

0 件のコメント:

コメントを投稿