いよいよ注目の男子フィギュアスケートが始まった。ここまで半分近い日程を終えて、日本のメダル獲得数は「7」と健闘してはいるものの、肝心の「金」となると、まだひとつも獲れていない。何度も繰り返すように「金」と「銀」の間に立ちはだかる「超えられない巨大な壁」に阻まれ続けているのが、我が日本選手たちである。
「オリンピックは参加することに意義があるので、メダルの数は問題ではない」
などというキレイ事をいう愚か者もいるが、バカを言ってはいけない。もちろん「オリンピック出場」は選手にとっては大きな目標に違いないが、すでに出場を決めた選手にとって、目標は「勝つこと」、「メダルを獲ること」以外にないはずだ。「楽しむことが大事」という声もあるが、そもそもオリンピックというのはメダルを賭けた勝負の場であり、勝ち負けや強い者を決めるための大会なのだから、このような本来の趣旨を脇に置いて「楽しむことが大事」などとほざくのは、勝つ自信がないための負け惜しみとしか思えないのである。
ここまで「金メダル候補」と言われた選手が何人も登場して来た。素人のワタクシとしては、それらの選手が果たして真に「金メダル候補」と呼ばれるに相応しいか否かの判定はできないが、そんな素人のワタクシでも間違いなく「金メダル候補」と認めないわけにはいかないのが、男子フィギュアスケートの羽生結弦である。
いうまでもなく、前回大会唯一の金メダリストであり、またその後の圧倒的な活躍ぶりを見ても、向かうところ敵なしの「絶対王者」であることは万人が認めるところ。なにしろこの羽生というのが、今までの日本人にないタイプのまったく不思議な存在なのだ。あの非の打ちどころのないスタイルの良さは、日本人離れのした長身をたっぷりと使ったダイナミックさに加え、柳のようなしなやかさをも兼ね備えている。さらには、少女漫画から抜け出してきたような、あのルックスだ。「爽やかな好青年」を絵に描いたような、あの誰からも好感を持たれそうな甘いマスクである(個人的には、結構腹黒そうに思っているが)。さらには、どんな状況にあってもプレッシャーに負けないような、底知れぬ図太さをも併せ持つという、過去のどの他の競技を見渡しても、類似の例が思い浮かばないくらいに、まことにもって傑出したキャラなのである。
フィギュアスケートと言えば、浅田真央が登場してきた時には「もう、これだけの天才は現れないのでは?」と思ったものだが、羽生こそはそれを遥かに凌ぐ逸材と言える。なにより浅田に代表される、これまでの日本人トップ選手に独特の「情緒」とか「脆さ」というものを微塵も感じさせないのが羽生である。国民の期待を一身に背負い、またマスゴミの過剰な期待に晒されながらも、そのプレッシャーなどは微塵も感じさせず、大会前に大怪我をしてぶっつけ本番という状況に置かれても「悲壮感」とも全く無縁そうな常に達観した表情だ。いかに難易度の高い技であっても、澄ました顔でいとも軽々と飛んで見せるようなところが、彼の凄みである。
そんな羽生のことだから、いかにここまで「金メダル候補」が次々に撃沈して来たは言え、例によって澄ました顔で易々と「金」を齎し「次元の違い」を見せてくれると信じて疑わなかった。どう考えても、彼が表彰台の真ん中以外の、低いところに立つイメージが湧いてこないのである。
こうして始まったSP。予想通り「本当にこれが、直前までまったくリンクに上がれなかった選手なのか?」と疑いさえ抱かせるような完璧に近い演技でトップに立つ。なにしろ本人が「普通にやれば勝てる」というくらいだから、あれだけ有力な「金メダル候補」たちが、苦心惨憺たる思いにもかかわらず金に届かなかったのとは、さすがに雲泥の差である。
いうまでもないが、フィギュアスケートというのは「SP」と「FS」の2日間に渡って競われる競技であり、そこに難しさがある。「SP」を終えた日は、夜もろくに寝られないだろうことは素人でも想像がつくくらいで、2日間緊張を持続したまま、それを制御克服しなければ勝てないという、精神的に強さを要求される競技と言える。
ましてや羽生の置かれた状況たるや、あれだけの国民の期待の大きさに加え、ここまで金メダル「0」という状況が、普通なら余計にプレッシャーを大きくするはずで「SPトップ」の結果が、それに輪をかけるのが通常である。ところが、そこが羽生の「例外的日本人」たる所以で、まるで「プレッシャーなど、どこ吹く風」とばかり、まことに易々と(としか見えない)金メダルを獲ってしまうのだから、これこそ「例外的日本人」としか言いようがないのである。
フリーでは羽生を上回る高得点を叩き出しながら、あの羽生の圧倒的な「華」の前に霞んでしまった20歳の宇野昌麿こそ、いい面の皮といえるが、それでも日本人選手が「金」、「銀」の快挙は爽快!
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