2018/02/02

言霊(ことだま)(古神道7)


言霊とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。清音の言霊は、森羅万象がそれによって成り立っているとされる、五十音のコトタマの法則のこと。その法則についての学問を言霊学という。

声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため祝詞を奏上する時には、絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も、言霊の思想に基づくものである。

日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。『万葉集』(『萬葉集』)に「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」(「志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具」柿本人麻呂 3254「…そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり…」(「…虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理…」山上憶良 894との歌がある。これは、古代において「」と「」が同一の概念だったことによるものである。漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、例えば事代主神が『古事記』では「言代主神」と書かれている箇所がある。古事記には言霊が神格化された、一言主大神の記述も存在する。

自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には、悪い結果がもたらされると信じられた。例えば『古事記』において、倭建命が伊吹山に登ったとき山の神の化身に出会ったが、倭建命は「これは神の使いだから帰りに退治しよう」と言挙げした。それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに遭い亡くなってしまった。すなわち、言霊思想は万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、心の存り様をも示すものであった。

万葉時代に言霊信仰が生まれたのは、チャイナの文字文化(漢字)に触れるようになり、大和言葉を自覚し精神的基盤が求められたこととも無縁ではない、という指摘がある。江戸期の国学によって、再び取り上げられるようになった際も、漢意(からごころ)の否定や攘夷思想とも関連してくるとされ、自国文化を再認識する過程で論じられてきた。

金田一京助は『言霊をめぐりて』の論文内で言霊観を三段に分類し「言うことそのままが即ち実現すると考えた言霊」、「言い表された詞華の霊妙を讃した言霊」、「祖先伝来の一語一語に宿ると考えられた言霊」とし、それぞれ「言語活動の神霊観」、「言語表現の神霊観」、「言語機構の神霊観」ということに相応しいと記している。山本七平は、日本には現代においても言葉に呪術的要素を認める言霊の思想は残っているとし、これが抜けない限りまず言論の自由はないと述べている。山本によると、第二次世界大戦中に日本でいわれた「敗戦主義者」とは(スパイやサボタージュの容疑者ではなく)「日本が負けるのではないかと口にした人物」のことで、戦後もなお「あってはならないものは指摘してはならない」という状態になり「議論してはならない」ということが多く出来てきているという。

他の文化圏の言霊
他の文化圏でも、言霊と共通する思想が見られる。『旧約聖書』の「ヘブライ語:רוח הקודש」(ルーアハ)、『新約聖書』では「希: πνεμα, pneuma」(プネウマ。動詞「吹く(希: πνέω, pneō)」を語源とし、息、風を意味する)というものがある。「風はいずこより来たり、いずこに行くかを知らず。風の吹くところいのちが生まれる。」この「」と表記されているものが「プネウマ」である。

一般に音や言葉は、禍々しき魂や霊を追い払い、場を清める働きがあるとされる(例:拍手 (神道))。これは洋の東西を問わず、祭礼や祝い、悪霊払いで行われる。神事での太鼓、カーニバルでの笛や鐘、太鼓、中華圏での春節の時の爆竹などはその一例である。言葉も、呪文や詔として、その霊的な力が利用される。ただし、その大本になる「こと」(事)が何であるかということには、様々な見解がある。たとえば「真理とは巌(いわお)のようなものであり、その上に教会を築くことができる」と考えたり、あるいは「真実を知りたければ鏡に汝自身を映してみよ、それですべてが明らかになる」といい、それは知りうるものであり、また実感として捉えられるものであるとみる意見や「こと」自体はわれわれでは知りえないものであるという主張もある。これらは様々な文化により、時代により、また個人により大きく異なっている。

言霊に関する逸話
『関東古戦録』巻二の記述として、夏に鳴く狐は凶の印であると説明された北条氏康が和歌で狐自身に凶を返す歌を詠むと、狐が息絶えたと記される。
※Wikipedia引用

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