2005/02/05

ベートーヴェン 交響曲第3番『英雄(エロイカ)』(第2楽章)



 ナポレオン・ボナパルトへの共感から、ナポレオンを讃える曲として作曲された。しかし完成後まもなくナポレオンが皇帝に即位し、その知らせに激怒したベートーヴェンは、ナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てた、という逸話がよく知られている。

もっとも、幾分か伝説化されすぎており眉唾ともいわれる。この曲はハイドンやモーツァルトなどの古典派の交響曲や、自身の交響曲第1番・第2番からの飛躍が著しく、特に第2番と本作品との隔たりは「音楽史上まれに見る奇跡」と評されることがある。

演奏時間50分という曲の長大さや、葬送行進曲やスケルツォといったそれまでの交響曲の常識からすると異質にも思えるジャンルとの本格的な融合、さらに英雄的で雄大な曲想などの点において革新的であり、この曲をもって以後、交響曲はオペラと並ぶクラシック音楽の最も重要なジャンルとしての地位を確立した、とされる

一説によれば作曲者が第9番を除き自身の交響曲中、もっとも出来栄えに満足していた曲はこの曲だったという。またロッシーニがウィーンへ進出した際、この曲を聞いて感激しベートーヴェンとの面会が叶った、という伝説もある。

この曲の「標題」のように用いられている「エロイカ(eroica」は、男性単数名詞を形容するeroicoという形容詞が女性単数名詞であるsinfonia(交響曲)を修飾するために語尾変化したものである。「sinfonia eroica」を直訳すると「英雄的な交響曲」となる。現在では、単独でこの語形のままドイツ語の辞書の見出しとして採用されることもあり、固有名詞化しているとみることもできるが、単独で用いるのは本来はあまり適切ではない。
出典Wikipedia

 彼はボンという田舎町から、才能ひとつで大都会ウィーンへと出てきました。すっごい貧乏な家庭だったのは有名ですが、当時音楽家は貴族を相手にしながら社会的地位はとても低かったのです。

しかも田舎貴族に仕える音楽家は、サラリーも低かったでしょうから生活が苦しかったと思います。それに殆ど世襲性で、長男のベートーヴェンも家を継ぐ意味で音楽家になったのです。彼は貧乏で社会の最下層に近い人だったため、思想的には貴族側よりどちらかと言えば民衆寄りでした。だから最新のモード「三民平等」という考えは、彼にとって理想郷を実現してくれる希望に満ちた考えだったと思われます。

さてウィーンに来た彼は、当時最新の楽器ピアノの即興演奏と、ピアノ曲の作曲でブイブイいわせていました。ベートーヴェンの新曲が発表されたと聞くや、みんな楽譜(今で言うCDの代わり)を買い求め、演奏会へ足を運んだのでした。おまけに貴族相手にすぐキレたり子どもみたいに喜んだりする、喜怒哀楽の激しいキャラクターは「ちょっと変わった人」として、結構有名人だったようです。

2楽章
濃厚な第1楽章に続くのが、これまた濃厚な葬送行進曲なのだから恐れ入る。 ここまででも、演奏するには大変に恐ろしい曲であり、まったく気が抜けない。こういった曲であるから「英雄」演奏の双璧がフルトヴェングラーとトスカニーニになってしまうのである。どうやって聴き手の緊張を持続させ、満足していただくか。内容が濃厚な「英雄」は「合唱」に次いで演奏が難しいのではないかと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿