2005/02/19

「雄琴」の風雅な響き ( ´艸`)ムププ


 大津市北部、比叡山の北東麓(ろく)の琵琶湖に臨む風光明媚なところに、平安時代に伝教大師最澄が開湯したといわれる湯歴のある「雄琴温泉」という温泉地があります。東方には世界遺産の比叡山延暦寺、西方には琵琶湖を、また近江八景のひとつである有名な浮御堂をはじめとする景勝地としても知られ、多くの文人にも愛され続けた土地です。

風流人たるワタクシなどは、この「雄琴」というどことはなしに風雅な響きを伴う地名を聞いただけで、ましてやそれが温泉地ともなれば尚更直ぐにも足を運んでみたくなるところですが、世の好事家を任ずる男性諸氏にとっては「雄琴」という地名からは、また違った艶っぽい響きを感じ取るようです。

ではこの「雄琴」という美しい地名は、一体何に由来するものなのかと調べてみたところ「金葉集」の

『かよい来て雄琴しらベの丘の松 吹く浦風も千代の聲(こえ)する』

という和歌に、そのルーツが隠されていました。

《このあたりは「調べが丘」といわれ、古代この地に女神が天下り絶景を愛し、松の丘の音に合わせて琴をかき鳴らしたと言う。一帯の主「今雄宿禰」の「雄」と「琴」から雄琴と名付けられたという》

《それは平安時代の事。小槻氏今雄宿禰がこの地を荘園として賜ったことから「雄」の字を取り、また貴族の邸宅から琴の音がよく流れて来た事から「琴」の字を用い「雄琴」の名が誕生したという》

といかにも尤もらしい、有難げな由来が見られます。さらに、雄琴温泉の由来を見てみると

《その昔「蛇ケ谷」には、苗鹿に八つの頭を持つ大蛇が住んでいた。谷の傍らには「念仏池」と呼ばれる小さな池があり、そこからは地下水が絶えま無く湧き飲めば病気が治り浴すれば外傷に効いたという。また念仏して賽銭を投げ入れると泡が出て、願い事を唱えた。この池が後に雄琴温泉になったといわれている、とあります。

≪大正15年(1926)に刊行された『遊覧案内趣味の大津』によると、傳教大師が始じめて此池を掘ったとき膝下に大蛇が現はれた、師は一心に唱念せらるゝとかの大蛇は見る 小指大の小蛇となつてしまった、大師は衆人に危害を加ふることを慮り此池の處に蛇を封じた蛇塚はそれである、鑛泉湧出池は此池であると。」あります。また、『湧くわく紀行 京都・滋賀の温泉めぐり』には、「比叡山に入山して現在の延暦寺の基礎を建立する際に、近くに湧く温泉を発見したといわれる。その湯を、建立にだずさわった人々の疲れを癒すためにつかったのが、この雄琴温泉の始まりとされている。」とあります。

一方、1963年に刊行された『大津の伝説』には「文徳天皇の頃、土岐の大史官今雄宿彌に雄琴の荘を賜つた時、宿彌は荘内に法光寺を建立したところ、天皇はこれを国家鎮護の道場とお定めにつた。ところが境内から霊泉がこんこんと湧き出して来た。宿彌の枕元に同寺の薬師如来があらわれて「飲めば内病浴すれば外病忽ちに癒ゆ」とのお告げがあった。宿彌は早速湯船をこしらえて風呂を沸かして参詣者に入浴の便をはかられたところそれから以後参詣はたくさんになつた。これが今の雄琴温泉のおこりとなつた。」とあります。

『わが郷土雄琴の歴史を探る』にも「雄琴温泉の由来 まず、雄琴温泉旅館等が宣伝用にしている「温泉の由緒書」を紹介しよう。今から千年の昔、文徳天皇の頃、今雄宿禰、荘園内の苗鹿に法光寺を創建なし、天皇はその氏寺を国家鎮護の道場と定められた。これにより先、法光寺境内に霊泉こんこんと湧出し、不思議にもこの泉を飲めば難病も立ちどころに治まるというので、西近江路を往来する旅人は、必ずこの寺に参詣して念仏を称(とな)えつつ、この池中に賽銭(さいせん)を供えて旅路の安全を祈願すると、たちまち池の底より多数の泡が吹き上がって加護の祈念に応(こた)えたという。また、あるときは、同寺に本尊薬師如来が現われ、飲めば内病、浴すれば外病たちまち平癒すとお告げがありしという。(後略)」とあり、『新修大津市史 第7巻』では、この資料をもとに「蛇ヶ池の念仏池」の伝承を紹介しています≫
出典 http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000191483

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