2005/02/07

ベートーヴェン 交響曲第3番『英雄(エロイカ)』(第4楽章)



 《そしてフィナーレ。この楽章も、終楽章として異例の変奏曲が採られている。  ここで使われる主題は、それまでの作品の中で何度も変奏曲主題として使用して来た「プロメテウスの創造物」が用いらている。即興曲の名手として名を馳せた彼が最も自信のある変奏曲を、最も自信のある変奏曲主題を使って、自分の総てを賭けた交響曲を締めくくろうとしたのだ。

この交響曲は終楽章で、生きる苦しみを乗り越えた人間だけが到達できる喜びを表現しており、ここで精神の開放を感じさせないような演奏は、鑑賞する価値が激減するのである。単なるヴァリエーション(変奏曲)では、この楽章は軽くなって巨大な第1,2楽章に飲み込まれてしまう。終楽章こそ、巨大なレヴォリューション(革命)でなくてはならない。

「第9」と並んで終楽章が変奏曲であるのが、この「英雄」である。他は、ロンドかソナタ形式。この変奏曲という形式は、日本人には少々親しみにくいところがあるかもしれない。緩やかな楽章での変奏はそれほどでもなかったが、この「英雄」の終楽章はかなり荷が重い変奏曲だ。「運命」のように一気呵成に終わらないものかな、と思ったものである。

昔から変奏曲が一般的であったヨーロッパの人には、それほどでないだろうが、日本人には違和感がある終曲かもしれない。冒頭しばらくは普通の変奏曲なのであるが、フガートになったり新しい旋律が出たり、フルートの長いソロが出たりと変化が豊かで、ただ単に変奏と言ってはいけないような内容の濃い面白い曲である。変奏は、ベートーヴェンにとって十八番であるだけに、よく聴いて他の作品とともに聴き比べなどもしたい。

 演奏会に行くにしても家でオーディオを聴くにしても、改まった気持ちで聴くとなると体調が気になる。ワルツのように軽い曲はそれほど体調には左右されないが、ことベートーヴェンの曲に至っては体調をベストに持っていって聴きたい。であるから、カゼ気味であるとか徹夜後には、なるべくなら避けたほうがいい曲なのである。

「田園」も同様に、その名前から想像するほど軽い曲ではない。やはり聴くには、ちょっと体力が必要なのだ。時間的長さということでは、当然「第9」の方が長いに決まっている。あれもマジメに聴こうと思ったら、相当な体力が必要だ。  しかし「葬送行進曲」が無いだけ、気持ちは楽といえる。

 「英雄」は、アマチュアにもプロにも難曲である。「運命」「田園」より前に作曲されたからといって、甘く見てはいけない。聴く以上に、演奏するには体力も技術も感性も熱気も根性も必要なのだ。よって演奏の出来不出来は、聴いてすぐにわかってしまうのである。

今でこそ、この時期の作品は「傑作の森」と言われているが、当時の音楽モードでは超前衛音楽だったことを忘れてはならない。しかし、その新しい音楽にイカれる者も現われ、マニアックながら熱狂的な支持者が彼を支えるようになったのである。

そして新しく始めた彼の音楽の中で、最初の成果が、この交響曲第3番なのだ。彼はこの曲で困難に立ち向かっていく力と、困難を乗り越えて得られる喜びを表現した。これはベートーヴェンにとって、命を賭けたものだったに違いない。

この曲の作曲に失敗していたら、彼は机の中から再びあの遺書を引っ張り出していたことだろう。事実、第9番《合唱》をまだ作曲していない頃、ベートーヴェンに

「自分の交響曲の中で、どれが一番好きか?」

とインタビューしたところ、わざわざ

「第5番《運命》よりも」

と断った上で、この第3番《英雄》を挙げたのである。

 この曲は、ベートーヴェン個人の苦難から克服へと至る葛藤を描いただけでなく、戦争だらけの中ヨーロッパの民衆の持つ、新しい時代へと突き進んで行こうとするエネルギーを描いたものとなりました。だから彼は、その象徴としてナポレオンに、この曲を献呈しようとしたのだろう。しかし、それはあくまで象徴としてであって、この交響曲がナポレオンのことを表現しているわけではない。

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