2005/02/06

ベートーヴェン 交響曲第3番『英雄(エロイカ)』(第3楽章)



しかし乗りに乗ってる彼を深く悩ませることが起こった。耳の疾患である。 

「他になんの取り柄も無い自分が、この街(ウィーン)に居られるのはピアノが弾けて作曲が出来るからだ」

ベートーヴェンも、そのことは充分知っていた。耳が聞こえなくなると言うことは、ピアノが弾けなくなり曲も書けなくなることを意味していて、それは彼にとって、この世での存在価値がなくなることを意味していた。だから耳が悪いことは絶対に隠し通さなくてはならないことであり、絶対に治さなくてはならないものだった。しかし転地療養してもまったく良くならず、病状は悪化する一方だ。そして、ついに彼は人生に絶望して遺書を書いた。有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」である。

しかし彼は弟たちに宛てられた、その遺書を机の奥にしまい込みんだ。

なぜ?

それは自分の心の底から新しい音楽が、マグマのように次々と沸き上がって来るからであった。深い絶望に囚われれば囚われるほど、それを打ち払うかのように輝かしい音楽が胸の中で鳴り響くのだ。

「この音楽を残さずして死ねるものか!
聴力を失っても作曲はできる。後は自分が、これから待ち受ける苦難と闘う覚悟があるかどうかだ!」

彼は自分の身に降りかかった運命を乗り越える決意をして、ウィーンに帰った。これ以降、彼は自分が難聴であることを隠さないようになり、当時発明されたばかりの補聴器を使用し始める。そして音楽でも、まったく新しい領域に足を踏み入れて行くのである。それは自己の心情の吐露、苦難を越えて初めて到達できる心境を描き、貴族だけでなく、この世の人々全員に向けた音楽を創ることだった。

誰もやったことのないことを始めたのだ。そのため今までの音楽にあったお約束をバラバラにし、新たな形で再構成をした。このため、彼の作風は鑑賞上にも演奏技術上にも、今までの「ちょっと難しい」から「すごく難しい」に変わった。

 この楽章の面白いところは、冒頭が、どうなってるのかわからん! というところである。3拍子なのか否か、アウフタクトがあるか否か。それは始まって3秒後、疑問に思った1秒後くらいに主題が現れるのでわかる。スケルツォなのだ、3拍子なのだ、と。そこが、これまでの第3楽章と異なるところであろうか。前に「葬送」があるだけに、地下(墓の下)で蠢く何かのようにも聞こえるが、そんな勘違いはすぐに消える。

さて、この冒頭からの蠢きは、もはや主題と言ってよい。序奏でも伴奏でもない。「序奏が展開するか」と、少し考えるとわかる(ザ・グレートのような例外もあるが)

冒頭の蠢きは立派な主題の一部なのだ、ということで3拍子の細かな動きが世界を統一しているところに2拍子が割り込んでくるから面白いのである。

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