ロシアの作曲家・プロコフィエフと言えば、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチと並び称される大物であり「ロシアを代表する音楽家」というよりは「20世紀を代表する音楽家」と言っても差支えがないくらいである。
音楽史の上では、3人ともに「20世紀音楽」とか「現代音楽」という年代にカテゴライズされるが、Classicの世界では20世紀の前半辺りから非常に難しいというか、わけのわからない音楽が主流となって来る。これが「20世紀音楽」とか「現代音楽」といわれる世代である。
プロコフィエフも、コテコテの「現代音楽」に分類される人であり、当然の事ながらご多分に漏れず、難解な(よくわからない)音楽として知られる作曲家の一人だ。なぜ、わざわざそんな作曲家を採り上げるのか、と文句が聞こえて来そうだが、同年代で同じロシア人作曲家であるストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチを含めた3人の中では最もまともであり、他の作曲家の音楽に比べ遥かに取っ付きやすいのが、このプロコフィエフだからである。
と言っても、プロコフィエフも超難解な曲は少なくない。が、『ピーターと狼』という曲に限っては、現代音楽という垣根を取っ払ったとしても「これ以上、わかりやすい音楽はありえない」と断言しても良いくらいに、初心者向けの曲なのである。
『ピーターと狼』は、プロコフィエフが作曲した子供のための音楽作品で、ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」と並ぶポピュラーな作品である。ナレーターと、小編成のオーケストラのために書かれている。
物語の登場人物は、それぞれがオーケストラの特定の楽器によって受け持たれている。
・ピーター(弦楽合奏)
・お祖父さん(ファゴット)
・小鳥(フルート)
・アヒル(オーボエ)
・猫(クラリネット)
・狼(3本のホルン)
・猟師の撃つ鉄砲(ティンパニやバスドラム)
・ナレーター
・ピーター(弦楽合奏)
・お祖父さん(ファゴット)
・小鳥(フルート)
・アヒル(オーボエ)
・猫(クラリネット)
・狼(3本のホルン)
・猟師の撃つ鉄砲(ティンパニやバスドラム)
・ナレーター
『ピーターと狼』というのはロシアの民話で、アヒルや小鳥たちが長閑に遊ぶところへ、こうした物語ではお約束とも言うべき、悪役に仕立て上げられた狼が現われ、アヒルを丸呑みしてしまうなどの狼藉を働いた末に、ピーターという利発な少年にやっつけられる・・・といった他愛のない物語だ。子供好きとして知られたプロコフィエフは、かねがねClassic音楽が子供に聴かれないのを残念に思っていたらしく
(子供も楽しめるような、わかりやすい音楽を・・・)
という趣旨から、この曲が生み出された。
元々、交響詩というのは読んで字の如しで、特定のテーマを音で表したものだが、この『ピーターと狼』の場合はご丁寧にも、曲の合間にナレーションを入れて物語と音楽を同時進行させるという、いわば音楽の紙芝居のような構成を取っており、さらにプロコフィエフは懇切丁寧な試みを企てた。
プロコフィエフは、この『ピーターと狼』という曲の中でストーリーのナレーションを入れただけでは満足せず、次には物語に登場して来る動物たちそれぞれに特定の楽器を対象付ける事で、聴いているだけで物語の内容が手に取るように分かると同時に、子供たちが楽器にも親しめるようにと企てたのである。
中でも出色なのは、弦楽合奏で表されるピーターのテーマで、陽気で活発な少年を表したホノボノとした登場から始まり、クライマックスでは狼を罠にかけて大活躍するまでのストーリ展開に合わせ、主題がめまぐるしく千変万化していく。そのようにして、楽しみながらに「変奏の名手」の腕前が堪能出来るようになっているのである。
プロコフィエフ自身の手になる、台本そのものはありきたりの子供騙しのものとはいえ、曲自体は決して子供向けの音楽と言うわけではなく、全体の構成は侮れない充実感がある。
さて、この『ピーターと狼』を聴く場合の注意点は、通常の音楽同様に指揮者や演奏者選びだけでは済まないのが難しい点だ。下手なナレーションや、声自体が生理的な好みに合わないものに当たったりすると、演奏までが色褪せてしまう可能性が大きいだけに、充分な注意を要する。
ワタクシが最初に聴いたのは、幸運にもフィッシャー=ディースカウと並ぶ、ドイツの正統派リート歌手と言われる名バリトン、ヘルマン・プライのナレーションだったから幸いだったが、偶々最初にヘンなのを聴いてしまったりした場合は、実に厄介だ。
そもそも我々日本人にとっては、ナレーションが英語か日本語かだけでも随分と印象が違ってくるもので、折角のナレーションが早口の英語では意味が理解出来ないという人は、格好を付けず日本語版を聴いてもよい。日本語版では、小沢征爾や黒柳徹子のもの辺りが良く知られている。
もっとも「世界のオザワ」とはいえ、ナレーションに関しては「訛りが酷くて、もう2度と聴きたくはない・・・」といった悪評も、しばしば聞かれたりする。個人的見解では、どうも日本語のゴツゴツとしたナレーションはあの曲にそぐわぬ感は否めず、やはり流れるような英語のナレーションの方が、しっくりと嵌る気がするのではあるが。ましてや、あの某タマネギオバサンのような、キンキン声の早口で捲くし立てられたのでは、煩くてとても曲を楽しむどころではない気がしてしまうのだが
(* ̄m ̄)ブッ
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