ベートーヴェンが、30歳の時(1800年)に完成させた最初の交響曲である。
ピアノソナタ第8番「悲愴」や七重奏曲、6つの弦楽四重奏曲などともに、初期の代表作として知られている。ベートーヴェンの交響曲のうち、第1番、第2番はベートーヴェンの初期の作品に含まれる。ベートーヴェンの初期作品は、ハイドン、モーツァルトといった古典派の作曲家の作曲技法を踏襲していた時期の作品であり、随所にベートーヴェン独自の意欲的な試みも認められるものの、中期から後期作品のようなベートーヴェンの強い個性はまだ見出すことは出来ない。中期、後期の大作群と比べると相対的に人気はないが、古典派の交響曲としては十分な完成度を誇っている。
ベートーヴェンは、当初ピアニストとして生計を立てていたこともあり、初期の作品はピアノソナタ、ピアノ三重奏曲、ピアノ協奏曲など、主にピアノに関する作品が中心を占めている。一方で、この時期には弦楽四重奏曲、七重奏曲などの作曲も経験しており、これによってベートーヴェンは合奏曲の書き方も学ぶことになる。これらの作曲を経験することによって、ハイドン、モーツァルトら古典派の作曲技法を吸収し、自らの技術として身につけている。交響曲第1番は、ここで学んだ技術の総集編として、1799年から1800年に作曲されたものと考えられている。
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《ベートーヴェンの不滅の9曲と言われる交響曲の中では、最も影の薄い存在です》でも、影は薄いとは言っても「不滅の9曲」の一曲です。もし、その他の凡百の作曲家が、その生涯に一つでもこれだけの作品を残すことができれば、疑いもなく彼の代表作となったはずです。問題は、彼のあとに続いた弟や妹があまりにも出来が良すぎたために、長兄の影がすっかり薄くなってしまったと言うことです。
この作品は第1番という事なので若書きの作品のように思われますが、時期的には彼の前期を代表する6曲の弦楽四重奏曲や、ピアノ協奏曲の3番などが書かれた時期に重なります。つまりウィーンに出てきた若き無名の作曲家ではなくて、それなりに名前も売れて有名になってきた男の筆になるものです。
モーツァルトが幼い頃から交響曲を書き始めたのとは対照的に、まさに満を持して世に送り出した作品だといえます。それは同時に、ウィーンにおける自らの地位をより確固としたものにしよう、と言う野心もあったはずです。その意気込みは、第1楽章の冒頭における和音の扱いにも表れていますし、最終楽章の主題を探るように彷徨う序奏部などは、聞き手の期待をいやがうえにも高めるような効果を持っていて、けれん味満点です。第3楽章のメヌエット楽章なども、優雅さよりは躍動感が前面に出てきて、より奔放なスケルツォ的な性格を持っています。
基本的な音楽の作りは、ハイドンやモーツァルトが到達した地点にしっかりと足は据えられていますが、至る所にそこから突き抜けようとするベートーヴェンの姿が垣間見られる作品だといえます。
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