2006/03/27

吉野梅郷の絶景

東京か、もしくは首都圏で梅の名所を探していて見つけたのが、青梅市の吉野梅郷だ。

 

家からはちと遠いが、ネットの画像に惹かれて行ってみると、これがなんとも凄かった。

 

まるで桜のように、山一面に咲き誇る梅。

満開の梅の花が、こんなにたくさん集まっている景観は観たことのない絶景で、最初に行った時など梅郷が視野に入って来た時には

 

「あれ? 梅じゃなくてもう桜が咲いた??」

 

と勘違いしたくらいだった。

 





ということで

 

「これは、良い名所を見つけた」

 

と喜んでいたのだが、逆にこれを見てしまっては、そこら辺の神社の「梅の名所」は「箱庭」にしか見えないから、その後3年くらいは続けて見に行くなど、3月末にはここへ行くのが「恒例行事」となっていた。

 

「あれだけの梅は、滅多に見られない・・・」

 

しかも、ここの梅は咲くのが遅く、例年3月末ごろと桜と殆ど時期が変わらなかった。

 

その後、しばらくは忙しかったりタイミングが合わなかったりで行き損なっていたものの

 

「いずれまた、あそこへ梅を見に行こう・・・」

 

と思っていたら、思わぬことが起こった・・・

 

吉野梅郷とは、JR青梅線日向和田駅から二俣尾駅までの多摩川南側、東西4キロメートルに広がる地域で、青梅市梅の公園をはじめ、地元農家の梅園や吉川英治記念館、青梅きもの博物館などの観光スポットが点在しています。

 

毎年2月下旬から331日まで、吉野梅郷梅まつりが行われ、紅梅・白梅合わせて25千本もの梅が花をつけ、仄かな香りをあたり一面に漂わせます。期間中は、全国から30万人以上が訪れる関東一の梅の里です。

 

また、梅まつり期間中である3月中旬の日曜日に、梅の公園と神代橋通りで「観梅市民まつり」を開催します。パレード、お囃子、郷土芸能、野点、琴の演奏など、数々のイベントで大変盛り上がる一日となります。

 

JR青梅線日向和田(ひなたわだ)駅から二俣尾(ふたまたお)駅までの多摩川南側に東西4キロにわたって広がる「吉野梅郷」青梅市の梅の公園や地元農家の各梅園や、吉川英治記念館などが点在し、老木・若木合わせて25千本の梅が紅白の花をつける関東有数の梅の里である。

 

その中心地にある梅の公園は、山の斜面を利用した約4.5ヘクタールの敷地に120種、1500本の梅樹がある自然公園で、吉野梅郷を訪れる人は必ず立ち寄る吉野梅郷のシンボル、観梅スポットとなっている。まずは、JR青梅駅からロータリーを回って、正面を走る青梅街道に出る。新宿から荻窪、田無、小川、箱根ヶ崎などを通って青梅・奥多摩方面へ抜けていくこの道は、徳川幕府の成立により大都市へと発展し始めた江戸の中心・江戸城の大改修工事で使用する石灰を青梅から輸送するために整備された。

 

青梅駅から西(奥多摩方面)へ折れると、道路の両側には新しい建物の間に古い建物が並んでおり、歴史を偲ぶことができる。旧青梅宿は、お隣の東青梅駅周辺からこの辺りまで長く続いていた。 駅から10分ほど歩くと、建ち並ぶ建物の中に、ひときわ風格のある木造のお屋敷が登場。こちらの建物は一般にも無料開放されていて、「旧稲葉家」という案内板が立っている。江戸時代後期に建てられたものだそうで、木材や織物などを売っていた商人宅だ。現代なら、青梅線の特別快速で1時間もあれば新宿に出ることができるが、当然、江戸時代に電車はない。このお宅の軒先は、西多摩周辺に住む人々の活気で賑わっていたことだろう。

 

正面玄関を腰をかがめながら入ると、女性の管理人さんが声を掛けてくれる。

「最近の住宅は、20年や30年で建て替えなきゃいけないのに、この建物はもう200年以上もこうして建ってるんですよ」。そのありがたさは、建物へ一歩足を踏み入れただけで、誰の身にも伝わってくるはずだ。 

 

金剛寺・将門誓いの梅

「青梅」の地名。それは意外な人物にゆかりのある、一本の梅の木に由来する。 

「青梅」という市の名前。吉野梅郷の梅祭りを中心に、毎年2月~3月の梅の花が咲く頃にはたくさんの観光客で賑わうことから、なんとなく「梅」が市のシンボルであることは頷ける。でも、なんで「青い梅」?

それは、ある1本の梅の木に由来する。青梅を代表する古刹の1つ「金剛寺」の境内に立つ梅の木がそれだ。

 

旧稲葉家住宅の先を南へ曲がると、右手前方に長い木の壁が見えてくる。ここが金剛寺だ。境内に、都の天然記念物に指定されている、市名の由来となった梅の木が立っている。大きさは、それほど大きな木ではない。この1本だけが他と比べて花がたくさん付いているというわけでもない。では、なぜ天然記念物に指定され、市名の由来にもなっているのか。

 

その謎を紐解くには、今から1000年以上も遡る必要がある。当時、関東地方で勢力を拡大していた平将門が、戦勝祈願のために梅の枝を地面に突き立てた。

「わが願いが叶わないのならば、枯れてしまえ」

すると、梅の枝はしっかりと根付いて葉を実らせたという。この梅の木は夏を過ぎて秋になっても実が黄色くならず青いままだったことから、この地を「青梅」と呼ぶようになったのだそうだ。ここまでは言い伝えなので、定かではないが、今でもこの木が青い実を付けたまま秋を迎えることがあるのは事実である。突然変異で、このような梅の実が育つことがあるらしい。

 

青梅街道--吉野街道--吉野梅郷

青梅街道から、吉野街道方面へ。途中、和田橋から望む多摩川は、嫌なことが全部吹き飛んでしまうくらいの美しい絶景だ。

 

吉野街道を西へ進むと、いよいよ梅の人気スポット「吉野梅郷」。一帯には鎌倉の梅、中心地梅林、岩割の梅など、たくさんの梅の見所がある。中でも1番の観梅スポットとして親しまれているのが「梅の公園」。毎年2月~3月に梅祭りが催され、たくさんの観光客で賑わっている。取材前日に雪が降ったため、花の咲き具合が心配されたが、まずまずの7分咲き。逆に真っ白な雪とピンクの花が織り成す、めったに見られない美しい光景を目にすることができた。こんな素敵な風景に出会えるのも、青梅ならではなのでは?

公園の北口では屋台も出ていて、「梅まんじゅう」などのおみやげを買うこともできる。


今年は、しばらくぶりで例の吉野梅郷に・・・と思っていたら、思わぬことが起こっていた。

 

なんと、あの梅郷の梅が「ウィルスに感染した」とやらで、全ての梅の木が伐採されてしまったというではないか!

 

なんと惜しいことか!

あれ以上の梅の名所は、ちょっと思いつかないだけに、これほどのショックはなかった。

 

吉野梅郷の中心、青梅市梅の公園

吉野梅郷(よしのばいごう)は、東京都青梅市にある梅園。2014年に全ての梅の木が伐採されるまでは、関東地方で有数の観梅の名所であった。

 

概要

青梅市中心部の西部に位置する日の出山から東に伸びる丘陵と、多摩川とに挟まれる長さ4キロメートルほどの地域に25,000本の梅が植えられていた。近隣には青梅市梅の公園(後述)のほか、個人の梅園も多く点在する。

 

東京都内ではあるが、都心部より標高がやや高いほか、丘陵の北面に位置するため、見ごろを迎えるのは都心部より遅い。

 

20094月に、植物防疫法の法令検疫対象であるプラムポックスウイルスの感染が梅の木としては世界で初めて確認され、2010年に123本が伐採された。その後も調査で見つかった感染木を処理していたが、201311月に農林水産省が「プラムポックスウイルスの緊急防除に関する省令」を改正したことにより、感染木の周囲の木も伐採するように定められたことから、一般の入園は201443日に終了し、翌44日から530日までの間に園内のすべての梅(1,266本)を全て伐採した。梅を植樹するにあたっては、この伐採から3年間に付近で新たな感染が無いことが条件となっている。

 

梅の里再生を目指すため、2015年にNPO法人「青梅吉野梅郷梅の里未来プロジェクト」が設立された。

 

青梅市梅の公園

梅郷の東南端に位置する。120品種、1,500本の梅が植えられていたが、青梅市がプラムポックスウイルスの防除に失敗したため、梅は全て伐採された。

公園は青梅市が1972年に整備した。入園料は無料だが、開花期(おおむね3月中)のみ有料となる。

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