青梅市といえば、東京に出て来てからかれこれ1年以上が経つワタクシもトンと縁がない土地ですが、かつて愛知にいる時から名前だけは聞いた事があったのは「青梅国際マラソン」のせいでしょうか。そんなわけで、ワタクシにコメントはないため早速、引用で由来を探っていく事にします。
<「青梅市」の天ヶ瀬という所に「金剛寺」というお寺があります。その昔、平将門が開基となり、京都蓮台寺の寛空大僧正を招いて開山したと言われていますが、真偽のほどは定かではありません。
下って鎌倉末期の元享年間、頼遍(らいへん)上人が再興しました。その後、北条氏の信仰を受け寺運大いに盛んとなり、江戸時代には二十石の寺領を付与されています。この寺の庭に「将門誓いの梅」という梅樹があります。将門がある時この地に来て、馬の笞(むち)代わりにしていた梅の枝を地面に突き刺し
「わが願いがかなわないならば枯れよ」と言われたが、枝は根づいて枝葉が繁茂したといいます。
この梅には、もう一つの伝説があります。それはこの梅の実は夏を過ぎ、秋になっても実が青々として落ちないという事で近郊でも有名となり、あお梅のところあおうめ、おうめとなり「青梅」の地名になったということです>
●ポリネシア語による解釈
<青梅市は、都の北西部の多摩川が関東平野へ流れ出る地域にあり、中心部の青梅市街地の東は平野、西は山地に位置し、北は埼玉県入間村、飯能市、東は入間市、南は西多摩郡瑞穂町、羽村市、あきる野市、西多摩郡日の出町、西は西多摩郡奥多摩町に囲まれます。明治22(1889)年に神奈川県北多摩郡青梅町となり、明治26年東京府編入、昭和26年に霞(かすみ)、調布2村と合併して市制を施行し、昭和30年小曽木(おそぎ)、吉野、成木(なりき)、三田4村を合併しました。
市名は
(1)平将門が武運長久を祈願して植えた、梅の木の実がいつまでも青かったからとする説
(2)平将門が建立した金剛寺の梅の木が、近隣にないほど大きかったからとする説
(3)武蔵府中の国府の役人、大目(だいさかん)がこの地に居住していたことから、大目が「おおめ」になつたとする説
(4)下総国海上郡、下野国安蘇郡の麻続(をみ。をうみ)郷の麻続部が居住し、麻布の生産が盛んであった事によるとする説があります。
(1)平将門が武運長久を祈願して植えた、梅の木の実がいつまでも青かったからとする説
(2)平将門が建立した金剛寺の梅の木が、近隣にないほど大きかったからとする説
(3)武蔵府中の国府の役人、大目(だいさかん)がこの地に居住していたことから、大目が「おおめ」になつたとする説
(4)下総国海上郡、下野国安蘇郡の麻続(をみ。をうみ)郷の麻続部が居住し、麻布の生産が盛んであった事によるとする説があります。
この「おうめ」は、マオリ語の「オ・フメ」、O-HUME(o=the...of;hume=bring to a point,taper off,gather up,gird on)、「先が細くなる(場所)」の転訛と解します>
出典
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
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