ライオン門(城門)と城壁
ミケーネ宮殿の象徴でもあるライオン門は、紀元前13世紀が始まった後、新たに宮殿の北西城壁が追加拡張された際に、ライオン門もこの新しい北西城壁に組み込まれた。新城壁は詳細に後述する円形墳墓Aの外側を回って、南翼部の邸宅群も取り込み、現在見られる城壁を形成した。さらに、ミケーネ宮殿は北西城壁の拡張と同時に、紀元前13世紀の前半には王の居室に「聖なる炉」を設けるなどパワーを増強、豊かになった財政面と軍事力に追随して宮殿の高品質化が図られた。好戦的なミケーネ人を象徴している堅固なライオン門を入るとミケーネ宮殿の内部となり、直ぐ目の前には少し幅広な空間が現れる。その右側の幾分低い箇所に、数え切れない金製の豪華な副葬品が出土した「円形墳墓A/Grave Circle A」と呼ばれる独特な墳墓が見えてくる。
ライオン門の正面には、石板舗装の大傾斜路ランプがまっすぐ反り上がっている。今日の大傾斜路がミケーネ時代と同じかどうか不明確だが、かつて未だ宮殿の北西城壁(円形墳墓Aの脇の城壁)が築かれていなかった紀元前13世紀より以前には、この大傾斜路は大きく左回りして宮殿の主要区画へ連絡するメイン入城ルートであった。ライオン門の左側には岩盤のアクロポリスの丘が盛り上がり、丘の中腹周辺には破壊の進んだ色々な部屋が連なる。盛り上がったような大傾斜路の終わり付近から、左方の岩盤露出のアクロポリスへ上る階段と通路が曲線を描きながら、宮殿の上部区画へ至っている。アクロポリスの頂上付近には、かつて宮殿の主要区画への「第二門」というべき入口があり、これが本来の宮殿入口であった。
アクロポリスの頂上には、ミケーネ文明の宮殿が崩壊してから500年以上経過した時期、紀元前6世紀頃に属するアルカイック様式の神殿跡が残されている。このことは、遅くとも紀元前1200年頃までにミケーネ宮殿は完全に崩壊しているはずで、その後にアルカイック様式神殿が建てられたことであり、ミケーネのアクロポリスの丘は何か宗教的に意味ある場所として再使用されたことを示している。
1939年の発掘ミッションにより、アルカイック神殿跡の下層レイヤーから非常に精巧に彫られた、紀元前13世紀の初め頃に属する象牙像が見つかっている。像の高さは73mm、座った二人の女性の間に甘えるような格好の子供を彫刻したもので、露出した豊かな胸や豪華な衣装やネックレースなどから、女性達は「女神」とも言われている。
紀元前13世紀の何か宗教的な要素の強い「女神」の象牙像が見つかった事実は、このアクロポリスの丘がミケーネ文明の時代を含め、祭祀・儀式に関係する重要な場所であった可能性を暗示している。そうであるならば、象牙像は何かの目的でこの場所に奉納されたと考えて良いだろう。彫刻像は材料が腐食しやすい象牙ということもあり、3,300年を経て若干腐食と変色が見られるが、約700年後のクラシック文明で完成する精巧な大理石像を髣髴させるような見事な彫刻作品である。現在、この象牙像はアテネ国立考古学博物館で展示公開されている。
宮殿の主要区画への登り通路から別れ、アクロポリスの北側城壁に沿って右回りに迂回するような岩のデコボコ通路は、その先の単純構造だが大型石材を使った宮殿の北門へ続く。この北門から、450mほど東方へ上るとミケーネ時代の水源があり、さらに古代の道はミケーネ峠を越えている。峠から南東へ約8km先には、ミケーネ文明の陶器生産では最大規模を誇ったプロシムナ・ベルバチ遺跡が残されている。
古代エジプト王朝と金供給を果たした古代ヌビア王国
鉱物資源が乏しい古代エジプト王国が保有した限りないほどの金の実際の産地は、ナイル川の中流域、現在のエジプト南部~スーダン北部に実在した古代ヌビア王国(Nubia/クシュ Kush)である。エジプト王国はヌビア王国を支配下に置き、金の確保を行っていた。エジプト第25王朝(紀元前747年~前656年)のファラオはヌビアの王であり、その後エジプト・ヌビア王朝はアッシリアに倒され短命に終わる。その後も自国で長期間繁栄したヌビア王国は、金の取引で得た財力で聖なる岩山ジェベル・バルカルなどに無数の神殿などを建設した。
驚くべきことは、おおよそ3,000年間続いた古代エジプト王朝でさえも120基のピラミッド建設であったが、ヌビア王国ではメロエなどにエジプトの倍近い約220基のピラミッドが建設された。古代エジプト王国繁栄の「影の存在」として、金の供給源の役目を果たしたヌビア王国に今なお残る遺跡群は、現在、UNESCO世界遺産となっている。
スパルタ地方は「美人」の宝庫か?
美人を生んだ西ギリシア・スパルタ地方では「ヤギのフレスコ画」の邸宅の奥様以外にも、長編叙事詩≪イリアス≫によれば、ギリシア神話の英雄であり伝説のスパルタ王メネラオスの妻に、少女の頃からギリシア中の若者に求婚されたという絶世の美女ヘレン(GR=ヘレネー)が居た。ただし全能の神ゼウスとレダ(レーダー)の娘であるヘレンは既婚者となり、邸宅の奥様が優勝した「ミスコン・スパルタ地方大会」の美女選びには出場していないはずだが、美女ヘレンはかつて独身時代の「ミスコン・全ギリシア大会」では間違いなく毎年断トツで優勝していたに違いない。
そのヘレンの美貌は、歴史を揺るがす国際紛争を巻き起こす。外交使節としてスパルタへやって来たイリオス王国トロイ(現在=トルコ西海岸トロイ遺跡)のイケメン王子パリスは、人妻ヘレンと会い一目惚れして「禁断の恋」の情熱の扉を開けてしまった。何時の世でも美人はトラブルの根源となる。彼女の美しさに魅了され、メロメロの有頂天となったパリスは、無情にもヘレンの一人娘をスパルタに残したまま、若娘達が絶頂する自慢のフィンガーテクニックを使い、あろうことか美しき人妻を言葉巧みに誘惑して、金銀財宝を積み込んだ船で本国イリオスへ連れ去ってしまう。
母アエロペの父クレタ王カトレウスの葬儀で、たまたま不在中に起こった「妻を奪われる」という、侮辱的な出来事に夫メネラオス王は激怒。美人妻ヘレンの奪回を大義名分に掲げ、兄であるミケーネ宮殿王アガメムノンを総司令官としたミケーネ・ギリシア連合軍は、10万の軍勢で王国イリオスへの攻撃を仕掛け、10年に及ぶ長い「トロイ戦争」へ突入して行く。今から3,200年ほど前の出来事だが・・・
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